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2016年2月29日 (月)

◆アナイスの「未来の小説」、愛の喪失

Img_2799 「わたしは愛の喪失には率直さが関係している、と考えた。

わたしが知っていたかぎりの正直で、喧嘩好きで、独断的で、飾らない女性たちはみな愛を失っていた。
わたしはその危険を冒そうとは思わなかった」(アナイス・ニン「未来の小説」)

昨夜は頭のなかを沸騰したように言葉がぐつぐつとわいてきて、頬の裏側をとおって口から溢れそうだったから口をおさえたら自家中毒寸前。

どうにかしなくちゃと思って、ある人に自分のいまの状態を書き始め、たくさん書いて、でも受け取るその人の心情を想像して、すべて削除する。

私は、このブログも、それからフェイスブックも、アイフォンからは投稿しないと決めている。

夜、そう、あの大嫌いな夜、眠る前の状態、言葉がたくさん出てくるあのときなんかに、思いつくままに書いたことをそのまま公表するなんて、危険すぎてできない。
ただでさえ、精神の排泄物(by澁澤龍彦)をまきちらすことを職業としているのに、不用意に不必要な危険言語をまきちらしてはいけない。そう考えている。

ブログもフェイスブックも私にとっては表現の場だから。責任がある。

だからノートに書いたそのままを書くことはしない。

眠れなかったからアナイスの本を開いた。
そうしたら冒頭の言葉が飛びこんできた。

そうだ。アナイスも、「日記」に自分自身を率直に吐露することで、現実世界で率直になることを防いだのだ。

率直すぎると愛を喪う。

私もそう思う。

美学に反するけれど、そう思う。

そして。
喪ってもいいから、言いたいときも、またある。

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*FB*何が欲しいのと聞かれたら

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ごきげんよう。

ああ。
どんなにやりたいことがあっても、どんなにやりたいことがなくっても、健康というものがなければ、すべてが無意味。

そんなことを痛感している病み上がりの月曜日。

みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

私はしぶしぶながらの毒素排出的な日々を過ごし、少し視界がクリアになった気がしているのでございます。
あらゆるものの「誤魔化しコーティング」がよくみえるかんじ……。

さてさて。
そんなこんなで、朝からあるフレーズが頭から離れなくて。 そのフレーズとは、 「何が欲しいのと聞かれたら」 でございます。
ええ。
加藤登紀子さまのね、ちょっと前の歌のワンフレーズ。

ところで。
突然ではございますけれども、みなさま「何が欲しい?」と聞かれたら何とお応えになるのかしら?

私はね、いまははっきり言えるの。
それは、 私の世界が好きで、私の作品が好きで、私本人も作品ほどじゃないけどまあまあ好きで、だから「この人の世界観を構築するためのことなら、ボランティアでもやりたい!」という方。 でございます。

……失礼いたしました。 わかっているわそんな人に当たる確率は宝くじに当たるのよりも低いって。
でもね、ほんとうに時間がないような気がするものですから。
きちんとしたサイトを作って、いままで書いてきたものをそこに残しておきたいのでございます。
でもね、それを作るのは「仕事ですからー」的なかんじでしてくださるのではだめなの、それだけはわかっているの。

私、いつもそばにいて、私の仕事を見てくれてサポートしてくださる人が欲しいのね。 ぐっすん。

加藤登紀子さまの歌詞もぜひご覧になってくださいな。
記事のタイトルは 「生まれてみたいか それともやめたいか」 でございます。

そうそう、本日の言葉のプレゼント。

「愛は全てを赦す」

上の歌が収録されたアルバムのタイトルからでございました。 ……きつい言葉ね。

写真は土曜日の路子サロンで飾ったピンクのカーネーション。

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2016年2月23日 (火)

▽「キャロル」

Ca その世界にあまりにも思いきりどっぷりと、浸れたものだから、私がもちうる情感が、その世界のなかでひたひたになって、映画が終わって席を立とうとしても、身体がなかなか動かなかった。

キャロル。久しぶりに、圧倒的に美しく、せつない恋愛映画を観た。

音楽、映像、少ないけれども選び抜かれたセリフ、衣装、そしてストーリー、ぜんぶがぜんぶ好み。
胸が何度熱くなったことだろう。

そうだった。人を好きになるのって、こういうことだった。
それはほんとうに、もう、たまらなく、
「生」を感じるものだった。
絶対恋愛のあの感覚は、こころの底から「生」を肯定したくなる、そういうものだった。

出逢いのシーンに、雷にうたれたようになり、はじめてのふたりの性愛のシーンでは、お互いが愛しくてたまらない欲しくてたまらない、そのようすが、あまりにも見事に表現されていたから、泣けてきた。
性愛シーンと涙という組み合わせ、私にもあまりなじみがないから自分でも驚いた。

誰かをすっごく好きになると、すっごく傷つくことも、もれなくついてくるけれど、私はやはり、この世界から離れたくない。

そんなことを確認して、いろんなことに考えを泳がせて、映画のいくつかのシーンを思い出して、また胸が熱くなって、やはりもう一度映画館でこの作品を観たいと思う。

生活に役立つわけでもない、前向きに生きるお手軽なヒントがあるわけじゃない、ビジネスで使える何かがあるわけじゃない。

でも、ほんとうに私、この映画で強く強く「生」を感じた。
これがきっと芸術の力。
本質の部分で、命を支えるものなのだと思う。

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2016年2月19日 (金)

*FB*私は疲れた

Ku ごきげんよう。

人生で、ほんとにほんとにしたいこと、があるってすごく幸せなことだったんだわ……気づかなかったわ……ああ……。

そんなことを強く思い、交通量の多い交差点で薄くなってゆく空を見上げ車にひかれそうになるあぶない夕刻。

みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

私は、ちょっと休息モード。

なので、今日の気持ちにぴったりな、大好きな絵をご紹介いたしましょう。

国吉康雄の、

『私は疲れた』。

はじめて見たとき、その雰囲気に涙したものだったわ。

っていうか、「まあ。私ったらいったいいつ描かれちゃったのかしら」なんて思ったくらいに、描かれている女性に共鳴したものだったわ。

というわけで、本日の言葉のプレゼントは国吉康雄から。

「創作は自分が自分であること。

他の誰でもないということ。

そのことに正直でさえあれば、

何も難しいことではないのです

胸にしみいる言葉なのでございます。

「そのことに正直である」って、人生の経験を積めば積むほどに、難しくなってくるようね……。

興味のある方はこちらもぜひ。2012年のブログの記事。読んでほしいの

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2016年2月18日 (木)

◆アナイスとビッチ

Img_2741路子サロンで、アナイス・ニン研究者の山本豊子先生をお招きして、たっぷりとアナイスに浸った。

膨大なアナイスの日記、翻訳されているのはわずかだから、私は40代以降のアナイスを知ることはできない。

生き方シリーズなんかを書いていていつもぶつかる壁がまたここにも。
原文で読めないこの語学力が絶望的にいやだ。

それで、サロンから日が経っても、参加者の方の質問、その方はいつもユニークな観点から発言してくださるサロンの香辛料みたいな存在なのだけど、彼女が、男性遍歴を重ねるアナイスについて、「ビッチとアナイスの違いって何?」とおっしゃった。

その答えとして明確なものはそのとき提示はされず、ただ、アナイスの相手は芸術家だけであり、かならずその関係には愛があった……そんなかんじで、違いといえばそこでしょうか……ということになった。

けれど、彼女の質問は、実は私がいつも感じていることで、ビッチと私の違いは? 違いがなかったりして、なんて感じていることで、だから、今回はちゃんと答えを導き出したいと思って、ずっと考えていたら、ああ、これかな、ということを思いついた。

アナイスは同時に何人もの男性と肉体的に精神的に関わりをもった。
ビッチだってそう。

でもそこに厳然と存在する違い、それは「思想」なのではないか。
人間の探究、本とか誰かの体験によるものではなく、自分自身を通しての探究。

自己省察、自己探求という目的がそこにあるのだと、自覚しているということ。
私は芸術家を育てるんだという意識が強くあるということ。
客観視できているということ。

そういうことなんじゃないかな。

自分のしていること、その理由を正視して生きる、そしてその責任はすべて負うという覚悟。
「人間の尊厳」という言葉まで浮かぶ、アナイスと男たちとの関わり。

そんなアナイスについて、非難するひとは、多い。

私がどこかでアナイスについて書くと、「不倫、浮気を肯定している」というトンチンカンな非難が飛んでくることがある。

不倫とは。浮気とは。愛とは。結婚とは。貞節とは。
そんな考察など、そこには存在しない。
多くの人の価値観を無批判に受け入れている怠惰さだけがある。
世間一般のモラルというわけのわからないものを振りかざすことに疑問をもたない鈍感さがある。

芸能人の色恋のあれこれを非難する人とよく似ている。
誰かと誰かが、家庭があるのに恋をした。婚外恋愛はモラルに反する。

つば飛ばしながら批判する人々の根底にあるのは、とってもシンプルな感情なのだと、私はいつも思う。

「私は我慢しているのに、なぜあなたは我慢しないの?」

これにつきるのではないかと。

真に自由に生きている人は他人の色恋をけっしてジャッジしない。
ましてや、誰か他の人が決めたモラルなんてものを振りかざしたりしない。

サガンは言っている。
「唯一のモラルは美にあるのです」って。

ああ。きっとアナイスの場合もこれにあてはまる。
アナイスは美しい。

写真は、路子サロンに遠くからいらしてくださった美しきアーティスト、小林可奈さんによる花。

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2016年2月17日 (水)

◆たいせつな日に

Img_2751_5 自分のなかでどんなにさまざまな問題がうごめいていても、今日という日くらいは、たいせつなものから離れないで過ごしたいと願って、17年前の今日を思い出しながら、そしてその後の17年という月日に思いを馳せながら、私の唯一の、そして絶対的な命のストッパーであり、躊躇なく我が命を差し出せる存在について考える。

一緒に暮らしていれば、それこそいろんなあれこれがあるけれどもいつだって、色あせたことがない宝物について考える。
その宝物が立っているとき、眠っているとき、何かに夢中になっているとき、いろんなことを話しているとき、(あんまりないけど)不機嫌なとき、私にいろんな意見を言うとき……。
私はいつも、へんな言い方だけど、どこかでその宝物の魂にみとれている、そんな気がする。
この、ああ、好きだな、という感情はもちろん血縁ゆえの愛着が多いのだろうけれど、それだけじゃない、人間的な「好み」というのもある。それは最初から感じてた。父親の存在が大きいのだろう。
たいせつな宝物に嘘など言えないから、私はずっと言ってきた。
生きていくのは大変なこと。つらいことが多いし苦しいことも多い。どうにもならないことだって多いし、世界の、日本の暗部に目をやれば絶望の奈落に落ちてゆきそうになる。
しんどいのが基本。楽しいことはご褒美。
ああ。それでも、なんとか生きてゆかなければならない。ナイーブなままでは、純粋なままでは生きられないから、とにかくこの世を生き抜く力をつけてほしいと。
毎年思う。この日は「おめでとう」より「ありがとう」のほうがしっくりくる。
2016年の2月17日は、それほど寒くもなく、乾いた風が吹いた一日だった。

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*FB*シャネルとオードリー重版のお知らせ

Img_2757ごきげんよう。

空は薄曇り。私の心も薄曇り。つまりけっこうよいかんじ、そんな昼下がり。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
今日は、ちょっと嬉しいお知らせがあるのでございました。
じゃーん。 「ココ・シャネルという生き方」&「オードリー・ヘップバーンという生き方」が、一緒に仲良く重版となったのでございます。 おめでとう、シャネルっ。おめでとう、オードリーっ。
(がんばれジャクリーンっ。がんばれピアフっ)。
ほんとにね、我が子(本よ、念のため)ながら、よくがんばっているわ。
過酷な環境のなかで。そうよ、うみっぱなし的(本よ、念のため)な、そんな環境なのに。
みなさまは、ここからいろんなことを、できるだけ正しく想像してくださいな。
シャネルはなんと16刷、オードリーは4刷なのでございました。
ほんと……、宣伝とか全然していないのに、けなげにがんばっているわ。
まあっ。 しつこいわ。 私ったらだめじゃないの。
というわけでこれ以上、よけいなことを言わないうちにこのへんで、本日の言葉のプレゼントにまいりましょう。
「愛され続け、恋をする可能性があるとわかっていれば、年をとることはまったく恐くありません」byオードリー・ヘップバーン
私も「恐くありません」っていばれるように、そんなふうになりたい。

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2016年2月13日 (土)

*FB*ピアフの舞台のパンフレットに、私のピアフ

Photo ごきげんよう。

路子サロンでアナイス・ニンに耽溺し、まだ夢心地、そしてなんだか外気がちょっとあやしい夜。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
今夜はみなさまへご報告したいことがあるのでございます。
いま日比谷の「シアター・クリエ」で上演中の「ピアフ」……、ええ、大竹しのぶという奇才がピアフを演じている、評判の舞台ね、そのパンフレットに私のピアフへの想いを書かせていただいているのでございます。
それでね、このパンフレットを見た瞬間、私、思わずひとり小さく叫んでおりました。
「すでに今年一番の美しいものを見た気がするわっ」
だってもう、100パーセント、私の好み。薔薇の花の色、そのデザイン、そしてゴールドのシックなタイトル……!
Photo_2 うっとり。しっとり。
……美しいものって、こんなに人を潤すのね。
東宝の担当の方からご連絡をいただいたのは、去年のまさに、私自身のピアフのコンサート準備のため、全身がピアフモードになっているとき。
担当の方は『エディット・ピアフという生き方』をお読みになって、気に入ってくださって、「ぜひ」と原稿を依頼してくださったのでございます。
こういうの、ほんとうに嬉しい。
きちんと私の仕事を受けとめてくださっている方がおいでなのだわ……とじーん、としちゃうのでございました。
というわけで本日の言葉のプレゼントはもちろん、この原稿のなかから。
「命がけで生きるということは、なんて美しいのだろう」
そうそう。「ピアフ」の舞台、アコーディオンは私の大好きな佐藤芳明。

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2016年2月10日 (水)

*FB*NHK BS 「ザ・プロファイラー」にピアフ登場!

Img_2717 ごきげんよう。

白いロールパンみたいな雲を眺めても食欲がわかないお昼の時間。
忙しいって、度を超すと罪だわ、人生に対する……。 もう少し余裕をつくらなくては……。
みなさまはいかがおすごしでしょうか。
今日はお知らせがあるのでございます。
本日、2月10日(水) 21:00 NHK BSプレミアム「ザ・プロファイラ-」という番組、 私のエディット・ピアフがテーマ!
「エディット・ピアフという生き方」を使ってくださっているから、だからエンドロールに、「資料提供」という形で、名前が入るみたい。
どんな番組になっているのか、わくわくっなのでございます。
みなさまも、ぜひご覧になってくださいな。
というわけで本日の言葉のプレゼントはだんぜん、ピアフから。P228よ。
***
――恋愛経験も豊富で波乱に満ちた人生ですね。他の歌手のような穏やかな暮らしは考えませんでしたか?
――それも悪くはないけれど、そういう生き方では歌えなかったでしょうね。この極端さが反動となって歌にすべてをこめられるの。捧げる限りはすべてを捧げるわ。
――ほどほどにしようとは?
――性に合わないわ。
――道徳に反しても?
――ええ、そうよ。
***
私も言いたい。
ええ、そうよ。

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2016年2月 4日 (木)

◆マリア・カラスが苦しくて

Img_2669 いま、マリア・カラスの人生に入りこみはじめていて、この歌姫(ディーヴァ)に同調しつつあり、なんだかたまらなくなっている。

ジャクリーン・ケネディを書いたとき、海運王のオナシスを共有した女性としてマリア・カラスの名をちらりと出した。
結局オナシスはジャクリーンと結婚するためにマリア・カラスと別れて、でもジャクリーンとうまくいかなくなってマリアのところに戻って、それからやがてオナシスが亡くなって、その2年後にマリアも亡くなる。53歳。
死因もマリリンみたいにいろいろ言われているけど、たぶん薬が原因。
歌姫としてはピアフを書いたばかりで、ピアフも孤独を恐れていて、でも、マリア・カラスの孤独は、なにか、もう絶望に近い孤独感で、孤独孤独と騒いでうるさがられている私でさえ、マリア・カラスの最晩年の孤独感には近づけない、それほどのものがある。
マリア・カラス100曲のCDを購入。毎日聴いている。
それにしても、どうしたことか不調な日々。
サガンが「一年ののち」のエピグレムに引用したシェイクスピア「マクベス」の一節を、自分に向かって唱える。
「そんなふうに考えはじめてはいけない。そんなことをしたら、気違いになってしまう」
ああ。だけど、「そんなふうに考えない」人生は生きている実感がない。

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2016年2月 3日 (水)

*FB*睡眠とデルヴォー

D ごきげんよう。

ありとあらゆる感覚が怠惰で困っちゃうっていうのに、締切感がずっと続いているような水曜日の夕刻。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
私は、ええ、今週末の路子サロンのテーマが「睡眠」なものですから、さきほどまでちょっと、デルヴォーの世界にたゆたっておりましたの。
ポール・デルヴォー。
爪のような三日月が揺れる夜には、いつも彼の「眠れるヴィーナス」を思いだして、私、デルヴォーのヴィーナスみたいに、ほのかな月明かりのもと、横たわりたい衝動とつねに闘っているのでございました。
ほんとうにね、画面から月夜の、すこし湿った冷気が漂ってくるような絵なのでございます。
というわけで、本日の言葉のプレゼントはデルヴォーから。
デルヴォーの絵は「夢の絵画」って呼ばれていて、そのことについて彼はこう言っているの。
「私は現実を描いているというより、現実を夢見ている」
私はデルヴォーの絵の、ためらいのなさが好き。
夢を描きながらものすごく醒めているところにぞくぞくするのでございます。

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