2016年7月12日 (火)

◆覆された宝石

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「天気」

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日

西脇順三郎の、とっても有名な詩。
けれど、数日前に、お友達からこの詩のことを聞いたとき、私は全然知らなかった。

お友達は、高校生のときの教科書に載っていたこの詩の印象がいまだ強烈だと言った。
先生から「この宝石は、いくつかの宝石でしょうか、それとも一つでしょうか?」と質問され、彼は考えて、たぶん一つだな、と思った、と言った。
私も、聞いてすぐに、「一つ、絶対一つ!」と威張っていた。

詩に関しても、感能力がないことを充分自覚しているけれど、この詩は、彼の口から、音で聞いたわけだけれど、心に残った。

意味などは関係なく、ことばが、形として、心に残った。そんなかんじだった。

そして、色々と調べてみると、この詩は一つの伝説のようになっていて、ほとんど「ものすごい詩」として独り歩きをしていることがわかった。
西脇順三郎は超有名な詩人で、翻訳が壁となって受賞はしていないもののノーベル賞クラスの詩人で、信奉者がたくさん。
私はこの「天気」という詩の、覆された宝石の( )がとても気になった。
そうしたら、このカッコは、キーツの「エンディミオン」からの引用だからカッコをつけたのだと詩人本人が言っていたことを知った。

ああ。またしても、何かが私に起こったのかもしれない。
と、大げさに騒ぎたくなる。

だって、詩に疎い私だけれど、キーツの「エンディミオン」は、ちょっと知っていて、なぜなら『美男子美術館』で扱った絵、ジロデ=トリオゾンの「エンディミオンの眠り」の章で、書いたから。

エンディミオンって、ギリシア神話に登場する人間の美男子で、彼は月の女神セレネに愛されて、永遠の眠りとともに永遠の若さを与えられて、ずっとずっとセレネに愛される、そんなロマンティックなお話。
***
キーツ。二十五歳で夭折したイギリスの詩人。
彼の代表作のひとつが『エンディミオン』。
四千行もある長い叙事詩は、ギリシア神話とはちょっと違っていて、エンディミオンが空や海を放浪して、やがてセレネと結ばれるという内容になっています。
冒頭部分、訳すとこんなかんじです(この詩の最初の一行がとっても有名です。だから英語も一緒に)。
美しきものはとこしえによろこびである A thing of beauty is a joy for ever
その愛すべき魅力はけっして消滅することなく
わたしたちに安らぎと 多くの甘い夢と健康的で静かな眠りを与えてくれる
キーツの美意識が集約されていると評価されている箇所です。
キーツはエンディミオンに「美の永遠性の象徴」を見ていたようです。
(『美男子美術館』「エンディミオンの眠り」より抜粋)
***
西脇順三郎は、この「エンディミオン」の詩のなかの、
a youthful wight
Smiling beneath a coral diadem,
Out-sparkling sudden like an upturn'd gem,
Appear'd
ひとりの若者が
珊瑚の王冠のもと、微笑みながら
覆された宝石のように 瞬間的にきらめく光を放ちながら
現れた
upturn'd gem, これを(覆された宝石)として引用し、引用したことを表すためにカッコを用いた、というのだ。
もうこれだけで、この詩人、好み。

私は、たまたま自分が知っている詩、「エンディミオン」とのつながり、そしてちょうど数日前に終わったばかりの「語りと歌のコンサート」でエンディミオンの物語を話したばかりだったことから、何か運命的なものを感じて、だからここに記録しておこうと思った。

詩の力、についてはわからない。
けれど、言葉の力なら、わかるような気がする。
すくなくとも、お友達から口伝えに聞いて、こんなに心に残る言葉があるということ。
だって、
覆された宝石のような朝
だよ。
こんな言葉、表現があるなんて。
この言葉があらわす、美しいきらめき、神々しさ、希望の粒子……。
ああ。幸せな気分。

今朝はどうだったかな。(覆された宝石)のような朝だったかな。

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2016年7月11日 (月)

◆アナイスと涙と

Fullsizerender アナイス・ニンについて、杉崎和子先生に質問ができる機会をいただいて、あらためて、先生がお書きになったアナイスについての文章を読む。

たいていは「訳者あとがき」なのだけれど、でも、これがすごい。
ずっと以前からそう思っていて、10年前に出版した『軽井沢夫人』にも明記してあるけれど、杉崎和子というひとの文章、その視線と表現力には、ほんとしびれる。
そして、私のアナイスは、翻訳という意味も含めて、そのほとんどが「杉崎和子のアナイス」なのだということを、再確認する。

今日は一日アナイスと向き合っていて、杉崎和子先生の文章と向き合っていて、なんども泣けてきた。ほら、いまだってまた涙が出てくる。この涙のわけがよくわからない。ここに書くことで、そのわけを知ることができるだろうか。

アナイス・ニンという、とてつもなく魅力的な人がこの世に存在したこと。 そのアナイスと出逢って、魅せられて、アナイスを日本に紹介することに尽力した人が存在すること。 そして私は彼女たちが、そして彼女たちをつつみこむように存在する中田耕治先生(アナイスをはじめて日本に紹介した作家)が、ほんとうに、好きなのだということ。
こんなに、心から、好きだ、と思えるものがあることに、もしかしたら、私は感動しているのだろうか。

日々の生活、日々の仕事。

なるべく嫌なことはしないように、そういう人生を選択してきたつもりでも、当然のことながら、生活のなかにも、そして仕事のなかにも、心の底から、両腕を思い切り広げて、「好き! 大好き!」と言えないことがある。わりと多い。残念なことに。

「嫌いではない。好きかも。そうね、見方を変えれば、わりと好きかも」。
そんな程度のことが多いように思う。

そんななかで、今日は、杉崎和子先生のアナイスに関する文章を3つ、思い立って、全文書き写してみた。写すという作業は、その人の息遣い、精神の流れを感じることができるから、私はとても好きな作業。
涙が何度も出てきたのは、この作業をしていたときのことだった。

時間にすれば数時間。その間、私は、一人きりの空間で、おそろしいほどの幸せのなかにいた。
そうだ、今、書いて気づいた。
私、幸せだったんだ。

なにひとつ、「それ違うよね」「ほんとはあんまり好きじゃないよね」という疑問が、なにひとつない感覚に包まれて、そのことがとても幸せだった。

もちろんその先には、「そしてあなたはどうするの?」がある。私も、書かなくては。人の心を動かすような、自分が存在していたという証を書き残したい。そういうものを書かなくては、書きたい。という想いがある。
その想いからあふれでる涙も、何パーセントかは、きっとあったはず。

アナイス。杉崎和子先生。中田耕治先生。

どんなものに感動し、どんなものに価値を見出し、どんなことに幸せを感じるか。
それこそひとそれぞれだ。
けれど、世界には、自分と似た価値観、感性で生きている人もいるはずで、私は、なるべくそういう人たちにつつまれて、人生の時間を過ごしたい。

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2016年6月23日 (木)

◆中田耕治先生の命の言葉

Nakadasensei 先生、先生は、数えきれないほどにたくさんの本をお出しになっていますけれども、そのなかに、「いまひとつのデキだな」と思いつつ出版したものはおありですか?

依頼された仕事をこなすなかで、自分の方向性を見失ってしまっているかもと恐怖にかられたときはどうしたらよいのでしょうか?

先生、忙しすぎて、じっくり考える時間がないんです。生きている実感がないように思うんです。そして、書くべき作品を書けないまま、このまま終わるのではないかと思うときが増えてきました。苦しいです。

その日、私はそんな相談をしてしまった。
ほとんど涙目で。先生は、もちろん、的確な、そして限りなく優しい言葉をくださった。

私が最高度に尊敬し、お慕いする中田耕治先生。

2016年6月13日は、中田先生にアナイス・ニンについてのインタビューをする、という私の人生の記念日だった。

アナイス・ニンのドキュメンタリーDVDを日本で発売できることになり、そのDVDにぜひ、「中田耕治先生のアナイス・ニン」を入れたかった。

目の前に中田先生、隣には一流の翻訳家の田栗美奈子さん。一時間ほどの収録時間。
私、まなざしが私から離れて先生に吸収されてしまうのではないかと思った。耳も同じ。
こんなに集中したことって、今までにあったかな。
だって、それほどまでに、先生のひとことひとことが、あまりにも重みがあって胸をうつ。

私が大好きなアナイスの本を、はじめて翻訳し、私が生まれた年1966年に来日したアナイスに会い、そしてその後も手紙のやりとりで交流を保っていた、中田先生。

昨日、インタビューを編集した画像が届いた。
夜中に観て、涙が止まらなかった。

先生、先生はどうして、いつも、今現在の私に必要な言葉を、強烈にくださるのですか。

もっとも胸に響いた部分を要約。

女の作家は、けっして女性を代表するわけではないのです。
世間では優れた女流作家は女性を代表すると考えるわけだけれど、わたくしに言わせれば、誤りです。
むしろ一般の女性からはかけ離れた特異な存在です。

特異な存在だからこそ、自分自身が作家でありえたのだし、創造性を持ちえたというふうに、僕は考える。

ですから、世間が女らしさとか女性らしさと認めるものを、優れた女流作家になればなるほど、自ら拒否して、別の存在にまで自分を高めようとする、そういう動き、働きが見られるだろうと思います。
アナイスが、その典型です。

女性一般を代表なんかしない、特異な存在なんだ。
世間が求めるものを自ら拒否して、自らの存在を高めなければ。

それから、先生はアナイスの作品のなかで「ヘンリー&ジューン」が一番好きだと、「あの一冊だけでアナイスは20世紀を代表する作家と考えていい」とおっしゃった。

そうか、たった一冊でいいのだ。
たった一冊、……しかしこれがいかに難しく困難なことか。

けれど、日々の仕事を真面目にこなしながら、その「たった一冊」を書き始めること、私の作家としての命はそこにある。

先生が私におっしゃった言葉を書き留めよう。

「忙しいなかでもね、自分が書きたい作品を一日に1ページだけでいいから、書きなさい。 そうすれば、1年経てば365ページになる。そういうことです」

こういう写真はあまり掲載しないけれど、今回は特別。中田耕治先生と。
机の上に並べられているのは、アナイス・ニンから中田先生に送られたエアメール。
アナイスの文字はやはりアナイスのように繊細で美しかった。

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2016年6月 7日 (火)

◆自分の惨めさを書きなさい

Photoやっぱり、どうしようもないときはアナイスしかいない。

発作が起きた患者がバッグのなかの薬を探すように、『インセスト』のなか、アナイスの言葉を探す。あわだたしく、息も切れ切れに。

激して、絶望して、馬鹿みたいに憂鬱になる自分が怖い。気が狂いそうな不安。タイプライターの前に座り、私は自分に言い聞かせた。弱虫、気ちがい女! 書くのよ。書きなさい。自分の惨めさを書くの。全部を吐き出すの。自分を窒息させているものを吐き出しなさい」

「私のなかの呪われた女が、枷をはめられながら、恋し、献身する女が、この狂気を引き起こしている」

「自由になりたい。ただ、芸術に関わるだけの、純粋な芸術家でありたい」


と、ここまで書いたとき、一通のメールが届く。
読んで、我慢していた涙があふれだす。
そこには、私を芸術家として見てくれているひとの、理解に満ちた言葉が並んでいる。
私よりもひとまわり以上も年下なのに、私は彼女の言葉に抱擁されて、だいじょうぶだいじょうぶ、と自分に言い聞かせる。
アナイスにとってのヒューゴーがいなくったって大丈夫、って、私を支えてくれているひとたちの顔をひとりひとり思い浮かべる。

すこしずつ、落ち着いてくる。
問題がくっきりと見えてくる。
すべては自分の卑怯な生き方が招いている。そして、2年前の春、ブログを削除したときの気持ちを忘れるな、と自分に言い聞かせる。

シューベルトの『死と処女』を聴いて、絵は、マーゴジャンタ・イエンタ『淑女の涙』。結婚のお祝いにいただいた大切な一枚。
かわりに泣いてもらって、仕事に戻る。
最終的には、私が決めることなのだから、すべて。

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2016年5月27日 (金)

◆思いがけない、けれど最高の、贈り物

Fullsizerender これは書き残しておきたい。

私が大好きなアーティストの方から、贈り物をいただいた。

送り先の確認で、事前に「なにかいただける」ことは知っていて、それが彼女も同じものをもっている、そういうものであることはわかっていて、なんだろうなんだろう、って推理したけどぜんぜんわからなくて、だからその包みを発見したとき、わあ、と胸で声をあげてすぐに開けた。

虚を突かれた。

そこには、私の小説『女神 ミューズ』があった。

お手紙があって、それを読んだ私は、目と胸のあたりがぐわっと熱くなって、しばし、たたずんでしまった。

以前、このブログに、『女神 ミューズ』が出版社から連絡がないまま絶版になっていたこと、在庫が一冊もないこと、当時は数万円の値がついていて中古での購入も難しかったこと……などの恨みつらみを書いた。

ああいうことは書かないほうがいい、と注意する人もいたけれど、削除はしていない。

その記事を彼女はお読みになって、心いためていて、そしてたまたま、中古で一冊入手できたから、まだ『女神 ミューズ』を読んでいない方に、ぜひお譲り下さい、と送ってくださったのだ。「私も大好きなミューズ、いつか復刊されますように」という言葉とともに。

私がどれだけ感動したか、おわかりでしょうか。

私は、彼女が私のこの小説をほんとうに愛してくれているんだ、って、そのことがとっても嬉しかった。

そして、それをこのような形で表現してくださったことが、その気持ちが、ほんとうに嬉しかった。

私は恵まれすぎている。このような方々に、どのようにして、私が受けた愛情をお返ししたらよいのだろう、本気で考えてしまう。

そして、彼女との出逢いを思い返す。

いまからちょうど一年くらい前に、とある画廊のグループ展で知り合ったのだった。

彼女の作品を観に行ったわけではない。別の目的で訪れた画廊だった。

彼女は入口近くにいて、綺麗な方だなあ、と私は見惚れて、それから、いろんな流れで、彼女を紹介されて、そうしたら彼女は、山口路子さんって、あの山口路子さんですか。私、『女神 ミューズ』大好きです、っておっしゃったのだった。

私は、しばらく信じなかったように思う。なにかの間違いではないですか、みたいなことを言ったのだと思う。だって、ほんとうに嘘みたいだったから。

でも、嘘じゃなかった。それは小さな奇跡だった。

私の大切な大切な本を、大切に読んでくださっている方に私は出逢ったのだ。

彼女はいまでもミューズのラストを目に浮かべると、せつない気持ちになる、自分にとって大切な物語です、と言ってくださる。

彼女は、私よりずっと年下で、とっても美しい。

彼女の創作に対する、懸けているものの重さ、形が私はとても好きだ。ほんものを創ろうとしているひとだと思う。

そんな彼女が「大切な物語」と言ってくれる『女神 ミューズ』の作者として、私、恥じないような作品を書き続けてゆかなければ。

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2016年5月17日 (火)

◆ヴィスコンティと荻昌弘と私と

Img_1288 恵比寿ガーデンシネマで上映中のヴィスコンティ、『山猫』が4Kっていう、ものすごく美しい画質で観られるからぜひ、とお友達に勧められて、3時間以上という長時間、鑑賞。

結果。
帰宅後、仕事しようと思ったけどできなかった。
その日のエナジーをすべて使い果たしてしまった。抜け殻みたくなっていた。すごい映画を観た時の、現象。

本物だけがもちうる美があった。
本物を知り、本物を愛する人だけに可能な作品がそこにあった。

以前、20年以上前、自宅の小さなテレビでも、その圧倒的な世界観、その雰囲気だけは伝わってきたけれど、今回、映画館で観て、あらためて、ヴィスコンティという映画監督の、なにか、ものすごい執念を見たように思った。

『山猫』については、もう、いろんな人が書いているし、私は、やっぱりちゃんと理解しているとは思えないんだけど、でも、バート・ランカスター演じる老侯爵(老、っていっても、私とあんまり年齢変わらないのでは?)が、その人生のなかで直面する、時代の変化があって、その時代の変化に、どのように対応してゆくのか、というのが、ひとつのテーマになっていると思う。

あと、個人的な「老い」。

私は、だからすごーく、この老侯爵に感情移入して観てしまって、時代の変化に自分はどのように対応してゆくのか、老いとどのようにつきあってゆくのか、そんなことを重ねながら観ていた。

そして、ヴィスコンティって『ベニスに死す』(これ、私の特別な映画、大好き)のときにも強く思ったけど、自分自身を描く人なんだなあ、ということも感じた。老侯爵はヴィスコンティの自画像そのものだと。

『山猫』制作時、ヴィスコンティは50代後半。

それで、帰宅して抜け殻状態なものだから、仕事は諦めて、愛読書の一つ『荻昌弘の映画批評真剣勝負』を開いた。
この本のことは、『うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ』のなかにも書いている。絶賛している。
たしか荻昌弘は『ベニスに死す』についても書いていたはず、と記事を探して読み始めて、ひとりで声をあげた。
こんな文章があったから。

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ヴィスコンティとは、つねに他から原作を借りながら、結局映像では自分しか語らない、そんな人だ、というのである。
「白夜」「山猫」「異邦人」。……あれだけ著名文学の映画化にいそしみながら、結局この巨大なイタリア演出家が映像に描きあげるのは、「原作」ではない、つねにヴィスコンティ自身の自画像なのだ、ということである。
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私が感じていたことは的外れじゃなかった、と知って嬉しかった。好きな作家と似たように感じられていたことが嬉しかった(もしかしたら、自分の深いところにインプットされていたのかな。覚えていないけれど、そういうことはあるだろうから)。

嬉しい、のあとに、「あれ、どこかで似たようなことを自分が書かれていた」ということを思い出した。
そうそう。
『うっかり……』の「解説」で、千葉望さんがこんなふうにお書きになっていた。

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さて、文章を通じて私に見えてきた山口路子という女性は、徹底した自己愛の人である。前作『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』は、十八人の名画のモデルとなった女性を美神(ミューズ)ととらえ、画家と彼女たちの関係に分け入った美術エッセイだったが、実はそこでも本当に描かれていたのは、山口路子その人であった。アルマ・マーラーやヴァリ・ノイツェルを書きながらも、自分のことを語った。本書『うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ』は、絵画から文学や音楽に題材を移したが、やはり本当のテーマは彼女自身なのだと思えた。
自分はいったいどんな人間なのだろうという問い。自分をもっと知ってほしいという欲望。両方とも山口さんにおいてはひそやかなものではなく、熱帯地方の花のように強い芳香を放って、読む者にまつわりついてくる。
ある人は同室の香りに引き寄せられるだろうが、人によっては強烈過ぎてむせてしまうかもしれない情熱が、この人の持ち味である。
+++++

いま、書き写していて、千葉さんがお書きになりたかったことがわかるような気がする。
そして千葉さんの鋭さに、いま、あらためて敬意をもつ。

ほら、ヴィスコンティから、こうして自分の話になってしまう。私は「徹底した自己愛」の人。
でも、千葉さんがおっしゃっている「強烈過ぎてむせてしまうかもしれない情熱」、薄れていたら嫌だな。そういう「老い」は嫌だな。

そんなことまで考え、昨夜はなかなか眠れず。たぶんこれ、ヴィスコンティの映画の影響力の大きさを物語っている。

『ルートヴィヒ』はさらに長い4時間越え。体調のよいときに行かないと。

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2016年5月14日 (土)

◆お誕生日会

Img_1275_2その日は、朝から忙しくしていて、というか精神的に締め切りに追われている日々が続いている流れで、今日こそはある程度の形にしなければ、という日だったところに、「会いたいなあ」と思っていたお友達から突然の連絡があり、とっても会いたかったから、がんばって仕事をすすめて、夕刻会って、そうしたら、あっという間に約束の時間になっていた。

支度をして電車に乗り、空いている席に座ってようやく、30分後の会について想いをめぐらせた。

お友達が企画してくれた私の誕生日の会。

これは、私が以前より、50歳だから、半世紀だから、何かお祝いの会でも自分で企画しようと思う……と騒いでいて、でも、いろんな要因があって、やっぱりやめよう、なんてなって、そういったところに、生まれたお話。

騒いじゃって申し訳なかったなー、という想いもあるし、なにしろすこし恥ずかしいというか照れが。

それでも、お友達が集まる誕生日会なんていつぶりだろう・・・・・・、と過去を旅してみれば、おそらく、私の記憶に間違いがなければ、小学校4年生以来。

大人になってからは、こういう性質だから、3名以上のお友達が集まって私の誕生日を祝う、なんて会に縁がなかった。
娘の誕生日会は軽井沢のあの家で、何度も開催したけれど。

なにか、とても不思議な感覚だった。
これって、どんなふうに表現したらよいのだろう。
ぜったい無理だと思っていた大きな賞を受賞して、現実味がない、みたいな。
ちょっと違うかな。

でも、ほんと、不思議な感覚。

それで、この不思議な感覚は、会場であるレストランに到着して、お料理をいただき、それから10数人の参加者の方々からのメッセージがいっぱいのアルバムと、卒倒しそうなくらいに好みの薔薇の花束をいただいて、家に帰ってきて、それから……、いまもまだ続いている。

私はいつも不義理ばかりで自己中心的な人生を生きているというのに、みんな、なんて心優しい人たちなのだろう。

それぞれに、めちゃくちゃ多忙ななか、時間と、それから高額のお金を使ってくださって、私はみんなの優しさに値しないのに、こんなに幸せな想いをしていていいのだろうか!
いいはずがない!
こんなに幸せな気分でいると怖い。なにか嫌なことが起こるかも(毎度ネガティブ)。

そんなことがぐるぐるまわるほどに、そう、私はとても幸せでした。

写真はいただいた薔薇の花束。

見たことがない品種の、写真ではこの美しすぎる色と質感がぜんぜん出ていないけれど、もう、なんというか凄みのある美しさ、とでも言いましょうか、ほんとにすごいの。好きなの。枯れてしまうのが、いまから悲しいくらい。

……次、60まで生きられたら、また騒ぐのかな、私。

それにしても、あのレストランでの、みなさんの、あたたかな空気感。
私は目に見えない、あたたかな何かに、それは目には見えないけれど、ときどき強く体感する、確かなあたたかさに支えられて人生を歩んでいる。

そんなふうに感じられたことが、何よりのプレゼントであり、心からのありがとうを言いたいです。

ありがとうございました。

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2016年5月 8日 (日)

◆GWと失望と中田先生の言葉と

Pよのなかはゴールデンウィーク。それも終わる。

私は締め切りウィーク。これはなかなか終わらない。

人が外に出るときに出るのが好きじゃないから、ほとんど家にこもって自分のペースで過ごせていいんだけど、どうしようもなく、ぐわっと、突然おそわれる、この寂しさってどうにかならないのだろうか。
誰が私をこんなふうにしたんだ、と人のせいにして、寂しさを怒りに変えて逃げたくなる。

この間、お友達とアナイスについて話をしていたときのことを思い出した。
お友達は、アナイスは、男性に対して、基本的に、失望、があったと思う……と、これ、正確じゃないけど、そのようなことを言った。
私はとても意外で、「え、そうかな、失望?」、すこしうろたえるくらいに意外で、それが今日、なんとなく見えたというか、もしかしたら、私もそうなのかもしれない、と思った。
でも、もしそれを認めてしまったら、なにか、自分が目指すものと違う方向に行ってしまいそうだし、楽しみが減ってしまうから、認めなかったのかもしれない。

そんなふうに考えて、過去に思いを馳せる(得意)。

それはそうと、4月のはじめの中田耕治先生の講座で、書き留めた言葉が、ここ最近の私にぴったりなので、ここに書いておこう。
あるテーマが見つかると、自分が見つけたのではなく、テーマのほうが自分を見つけて、よく調べなさい、と言っているような気がする」
先生は、そうおっしゃった。
いつも、なにか宝物のような言葉を、先生はくださる。

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2016年5月 5日 (木)

◆50本の薔薇

2016年の5月2日は、私の50歳の誕生日だった。

一年位前から、ちょっと力んでいて、過去の日々に想いを馳せれば、50歳の誕生日を迎えられるだなんて、そんなふうに言えばみんなそうなんだろうけど、やっぱりひとつの奇跡なのだと思って、なにか自分の存在を刻印できるような、なにかをしたいなあ、なんて思っていたけれど、いざその日が近づいてみれば、当日は、とても静かに過ぎた。

静かで、そして愛情を受けていることを感じられて、満たされた。
大好きなレザネフォールのケーキはおいしかったし、柔らかな色彩の花束も嬉しかった。

思いがけなかったのは、50本の薔薇の贈り物だった。

50本の薔薇の花束ってすごく重くて、薔薇以外になにもない50本の薔薇って、すごく存在感があって、私は、その花束の一本一本をひとつずつ、じーっと眺めて、ときを過ごした。

色は深紅。

誕生日の数日前に、お友達と、私の部屋でなんと休憩なしの8時間! 会話をした。

そのお友達は、私がいまの世界(アバウトに言えば「美」)を知る23歳以前に興味があると言い、私はいくつかのエピソードを思い出して、語ることになった。
そうしたら、やはり、そこには、確かにいまの私につながる私がいて、そのことが発見できたことは驚きだった。

そのお友達は、やっぱりスペシャルな存在なのだろう。
たぶん、私の誕生日なんて意識していなかったのに(知らなかったと思う)、結局、誕生日の二日前に、50年を振り返って眺めるような、そんな時間を創ってくれたのだから。

このところ、私の周りで物事がぐるんぐるんと回転しているような気がする。
いままでしてきたことの、いろんなことがつながって回転しているようなかんじがして、少しこわいくらい。

50歳。
若くはない、当たり前。わかってる。
鏡を見れば、そこには年齢相応な顔が映る。
身体は以前からヘロヘロだから、とくに弱ったとか思わないのが、いいのか悪いのか。
精神は、どうなのかな。
知りたいこと、勉強したいことが山盛りで、感動を求めてかけまわっているところはあまり変わらないけれど。

年齢を気にしないで、年齢から自由になって生きる人が、年齢を感じさせない人なのだという。
実年齢、経験年齢、という考え方もある。
実年齢じゃないよ、経験年齢なんだよ。私もそう思う。

でも私は、年齢を意識し続ける。
これ(だけ)は一貫している。最初からプロフィールに生年を記した。
私はこれだけの年数を生きてきて、そしてこれを書いた、という生き方を選んだ。そしてそれは今も同じ。

いま、欲しいのは、「変化」を受け入れられる力。
力、ってへんかな。
私は変化を受け入れたい。
私自身の変化、私と関係のある人たちの変化を、受け入れて、もう少し、優しくときを過ごしたい。

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2016年4月28日 (木)

◆フィクションとノンフィクション

The_evil_mothers ある映画を観た。

その映画は、すごく努力をした人が、その努力が報われて、欲しかったものを手に入れられる、という、その話自体はシンプルなものだった。
けれど、熱い人が作ったに違いなくて、私は胸うたれた。

一緒にではないけれど、娘も同じものを観た。
やはり感動をしたらしかった。
それで、私たちは映画についての話をした。

その流れのなかで彼女が「でもね、フィクションだもん」と言った。
私は「でもね、フィクションから自分が受けとった感動は、フィクションじゃないんだよ」と言った。「たぶん大切なのはそこ」。

そうしたら、何年かに一度くらいのことが起きた。どうやら、その言葉がちょっと響いたらしい、そんなようす。

いまではその言葉が壁に貼られている。あんまりないことだから、すっごく嬉しい私。

このところの彼女を見ていると、人間って、ある時期に、飛び級みたいなかんじで成長するんだなあ。
と思う。
私がそんなふうに成長したのはいつだっただろう。
記憶にある範囲で言えば、第一次は23歳のとき。第二次はいつだろう、第三次は……そんなことを考えながら、また彼女のことに戻って、私にできることは、もうほとんどなく、だからせめて一緒に住んでいる年長のものとして、彼女の健康には強い関心をもち、彼女が必要としたときはそばにいたい。
倒れそうになったときだけ、支えることができれば、もう私にとってはそれは満点行為。
あとは、私がとにかく元気なときを増やすこと。これが難しい。

絵はセガンティーニの「悪しき母たち」*注*とくに深い意味はありません。

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