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■アナイス■アナイスの印刷機と「最後の10年」2010.12.2

Anaisp私にとっての最後の10年がいつなのか、もう始まっているのか、それはわからない。

サガンが言う、「死は人間のあらゆる行動のいい分母です」に私も賛同するから、頻繁に死を想ってはいる。意識してはいる。

そしてこのところは、若いころのように、それを極端におそれることはなくなった。唯一、娘の存在だけがつよい心残りとなるだろうけれど。

ささいな不調とはいえ、寝込んでいると、死のこと、これから一番やりたいこと、限られている時間のなかでしたいこと、そんなことをつらつらと考える。

それでまたアナイスのことを考えていたのだけれど、20代のころから作家を志して書き続けていたアナイスは、ヘンリー・ミラーはじめ、後に超有名となる男たちを助けながら、インスパイアしながら、自身も執筆に励んだ。
けれど、彼女の独自の作風はなかなか認められない、本が出ない。

もちろん絶望するときもあった。
それでもつねにアナイスの虚弱体質のなかにある精神の強さが勝った。

アナイスは30代のはじめ、印刷機を購入、自らの作品を手作り出版した。

この事実。

20代の終わりころにようやく文章を書き始め、作家を志し、認められず、苦しい日々を送っていた私をどれほど強く励ましたことか。

何度も諦めようとし、けれど土壇場でアナイスの印刷機を想った。

そして自分に言い聞かせた。とにかく絶望しないで、と。

アナイスは自費出版どころか、自分で印刷機を購入して、自分の作品を出版した。そこまでして世に出したい作品をあなたは書いたのか。書いて、そのうえで絶望しているのか。どうか。

そう何度自分を叱咤したことか。

アナイスのこの行動こそ、情熱と呼ぶにふさわしい。そしてこんなアナイスが私は大好き。

Anaisqそれでもアナイスの作品は多くの人に認められなかった。
はじめて手作りの作品を出版してからおよそ10年後、ようやく著名な批評家から好評を得るけれど、それで彼女の名が広く知られたわけではなく、アナイスが著名な作家の仲間入りをするには、さらに20年もの歳月が必要だった。

……20年!

自分で印刷をして出版してからは、30年!

きっかけは1966年(私が生まれた年だ)、アナイスの「日記」の出版だった。
これが評判になった。

そして1977年に亡くなるまでの10年間は、アナイスにとって長年の、ほんとうに長年の、夢がかなった薔薇色の10年だった。

ついに作家として世に認められた。創作活動が花開き、実った。
彼女の一生を経済的に支え続け、定年を迎えた夫ヒューゴーとの生活を、今度は彼女が支えられるようになった。

どれほど嬉しかったことだろう。
どれほど、「ああ、諦めないで続けてきてよかった」と思っただろう。

本が出ないころ、よくつぶやいた「やめるならやめればいい、でも、やめたら、それでピリオド」という単純な真実を思い出した。

ほんとうに色々なことを考える。
44年の人生でこれだけ愛し愛され、どうしてもこれだけは残してから死にたい、と思った本を出して、運命がそのように動くなら、それほど思い残すことはないように思う。
けっして暗い意味で言っているのではない。
けれど、私は欲張りだから、もっともっと愛し愛されたい。もっともっとよい作品を書きたい。だから絶望しちゃだめ。

アナイスだって60代半ばからの10年だった、と思えばマイナスの焦りもなくなる。

毎日書くべきことを書き、すべきことをして、興味あることに身を投じ、自分のなかにある小さな炎を守り続けたなら、きっと薔薇色のシーズンがまたくる。そう信じたい。

自分にとっての最後の10年がいつなのか、もう始まっているのか、それはわからないけれど。

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