■アナイス・ニン■

■■混乱が個人的な世界を覆っている■■2010.4.10

舞台をすべて演出し、コントロールしているのは、たしかに私かもしれない。だが、その私もまた、この舞台の上で踊っているのだ。

そしてそのために、私は信念と夢を捧げている。

この芝居は私の信念があればこそ、成り立っている

全世界を覆うこのペシミズム、この沈潜に関わることを、私は断固拒否する。目には目隠しを、耳には耳栓をする。殺されるのなら、踊りながら殺される

アナイス・ニンにすがる朝。

混乱が我が世界を覆っている。

混乱混乱混乱。自分が演じているあらゆる役柄の、それぞれの世界から、ささいな、けれどとどめにもなり得る矢が飛んでくる。

矢を飛ばしている本人は、まったくそのつもりがなく、ときにそれは愛情からですら、あり得る。そこがなんともかなしい。


そして、矢を受けながら、自分もあらゆるところに、矢を飛ばしているに違いない、と確信し、消えてなくなりたくなる。


こういう内省的な悲観的な自己陶酔的なのは今の時代、はやらない。


はやらないのだからすぐさまそんなのをやめて、時代の流れとともに、穏やかに心地よく、自嘲気味にほほ笑みながら、流されてゆけたらいいのに。


こういう気分のときは、さびしさとは無縁だ。

ひたすら、生まれ出てきたままの状態、死んでゆくときの状態にたゆたい、思考を停止していたい。

わりとよいかんじなのだろう。こういう状態のときは、原稿がすすむのだから。

■アナイス■「いろんなものから遠く離れて」 2009.8.31

Aこのところ夜はずっとアナイスに寄り添って眠る。

アナイス、私の理解者私の分身私自身。……こんなふうに自由に書くことの快楽。

何度も登場している「インセスト アナイス・ニンの日記」を、またしても読み直しているだけのことなのだが、やはりアナイスは私にとって特別な人。

昨夜は次の部分が痛いくらいに染み入って、暗記するほどに何度も何度もたどってしまった。

***

寂しくてしょうがない。

私がいつもヘンリーにしてあげているようなことを、私にしてくれる人が欲しい。

私は彼が書くものはすべて読む。彼が読む本は私も読む。彼の手紙には必ず返事を書く。
彼の話を聞き、言ったことをみんな覚えている。彼のことを書く。彼に贈り物をする。彼を守る。彼のためならいつだって、誰だって諦められる。彼の思考をたどり、参画する。
情熱と母性と知性をかたむけて彼を見守っている。

では彼はどうか。私のために、彼にはこんなことはできない。誰にもできない。誰にもそのやり方がわからない。私の才能、私が生まれながらに持っているものだ。

ヒューゴーは私を守ってくれるが、応えてはくれない。

ヘンリーは応えてくれるが、私の書くものを読む時間がないし、私の気持ちをこまかく察してもくれない。私のことを書いてもくれない。

父は女と言ってもいい思い遣りはみせてくれるが、私の仕事には関われない。

私に与えられるものは不完全な、不満足な、焦燥をそそる断片だけ。

だから私は寂しい。
だから日記のなかで私は私が欲しい応えを書き綴る。
自分で自分を養わなければならない。

私に愛は与えられる。だが、愛だけでは充分ではない。

どのように愛するかを誰も知らない。

***

アナイス。貴女の強烈な自己愛を私は強烈に愛する。

夏が終わった軽井沢、最後の緑に妙な生命力を感じる日。

■アナイス■アナイスの印刷機と「最後の10年」2010.12.2

Anaisp私にとっての最後の10年がいつなのか、もう始まっているのか、それはわからない。

サガンが言う、「死は人間のあらゆる行動のいい分母です」に私も賛同するから、頻繁に死を想ってはいる。意識してはいる。

そしてこのところは、若いころのように、それを極端におそれることはなくなった。唯一、娘の存在だけがつよい心残りとなるだろうけれど。

ささいな不調とはいえ、寝込んでいると、死のこと、これから一番やりたいこと、限られている時間のなかでしたいこと、そんなことをつらつらと考える。

それでまたアナイスのことを考えていたのだけれど、20代のころから作家を志して書き続けていたアナイスは、ヘンリー・ミラーはじめ、後に超有名となる男たちを助けながら、インスパイアしながら、自身も執筆に励んだ。
けれど、彼女の独自の作風はなかなか認められない、本が出ない。

もちろん絶望するときもあった。
それでもつねにアナイスの虚弱体質のなかにある精神の強さが勝った。

アナイスは30代のはじめ、印刷機を購入、自らの作品を手作り出版した。

この事実。

20代の終わりころにようやく文章を書き始め、作家を志し、認められず、苦しい日々を送っていた私をどれほど強く励ましたことか。

何度も諦めようとし、けれど土壇場でアナイスの印刷機を想った。

そして自分に言い聞かせた。とにかく絶望しないで、と。

アナイスは自費出版どころか、自分で印刷機を購入して、自分の作品を出版した。そこまでして世に出したい作品をあなたは書いたのか。書いて、そのうえで絶望しているのか。どうか。

そう何度自分を叱咤したことか。

アナイスのこの行動こそ、情熱と呼ぶにふさわしい。そしてこんなアナイスが私は大好き。

Anaisqそれでもアナイスの作品は多くの人に認められなかった。
はじめて手作りの作品を出版してからおよそ10年後、ようやく著名な批評家から好評を得るけれど、それで彼女の名が広く知られたわけではなく、アナイスが著名な作家の仲間入りをするには、さらに20年もの歳月が必要だった。

……20年!

自分で印刷をして出版してからは、30年!

きっかけは1966年(私が生まれた年だ)、アナイスの「日記」の出版だった。
これが評判になった。

そして1977年に亡くなるまでの10年間は、アナイスにとって長年の、ほんとうに長年の、夢がかなった薔薇色の10年だった。

ついに作家として世に認められた。創作活動が花開き、実った。
彼女の一生を経済的に支え続け、定年を迎えた夫ヒューゴーとの生活を、今度は彼女が支えられるようになった。

どれほど嬉しかったことだろう。
どれほど、「ああ、諦めないで続けてきてよかった」と思っただろう。

本が出ないころ、よくつぶやいた「やめるならやめればいい、でも、やめたら、それでピリオド」という単純な真実を思い出した。

ほんとうに色々なことを考える。
44年の人生でこれだけ愛し愛され、どうしてもこれだけは残してから死にたい、と思った本を出して、運命がそのように動くなら、それほど思い残すことはないように思う。
けっして暗い意味で言っているのではない。
けれど、私は欲張りだから、もっともっと愛し愛されたい。もっともっとよい作品を書きたい。だから絶望しちゃだめ。

アナイスだって60代半ばからの10年だった、と思えばマイナスの焦りもなくなる。

毎日書くべきことを書き、すべきことをして、興味あることに身を投じ、自分のなかにある小さな炎を守り続けたなら、きっと薔薇色のシーズンがまたくる。そう信じたい。

自分にとっての最後の10年がいつなのか、もう始まっているのか、それはわからないけれど。

■アナイス■「アナイス・ニンでいっぱい」2013.12.10

Anaisc_22013年の12月8日はアナイスにどっぷりと浸った一日だった。それ以前からさまざまなアナイスの本を読んでいたのだけれど、その日の朝、とあるカフェで『インセスト』を適当にぱらりと開いたら、こんなフレーズが。

***

生に向き合うとき、私たちはいつも私たちの二面性を恐れながら、それを大いに必要としている。

***

二面性。

私、二面性どころではないな、と思う。そしてアナイスもきっとそう。確信に近いくらいにそう思う。多面すぎて、自分でも混乱しているのだと思う。

それにしても。
強いときにはとことん強くなるアナイスが好き。
弱いときには、とっても弱くなるアナイスが好き。

***

私が欺いているのは男たちではなく、私の要求を叶えてくれない生そのものだということも、はっきりした。

私は私の嘘を、勇気を持って、風刺をこめて、二重にも三重にも生きる。そうしなければ、私が抱えている愛を使いきれないからだ。

今、私にはあり余る愛がある。その愛すべてを独り占めしたい男はいないはずだ。そんなにもらっても応えきれないのだから。

***

読みすぎて、ページの端を折っているところのほうが多くなりそう。

今朝の雨はとても気持ちがよかった。もっと降れ、と窓を開けて長い間、雨を眺めていた。マンションの半年にもおよぶ修繕工事がようやく終わりそうで、シートがとりはらわれて、そうしてようやく外の景色が眺められるようになると、以前は、なんとも思っていなかった景色が、とてもありがたく思えてくる。

私は、いったんシートで覆われないと、景色のありがたさがわからないような、そんな人間なのでした。

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★ちょっと説明★

ここでいっている2013年の12月8日とは、アナイス・ニン研究会に参加した日のことです。アナイスの存在を私に強烈に刻印した本、『エロス幻論』の著者、中田耕治先生にお誘いいただき、参加できたのでした。中田耕治先生は、最初に日本でアナイスの作品を訳した方です。

中田耕治先生の、アナイスについてのレクチャーがありました。ぜったいほかの方々はこれをテーマにしないだろうなという「16歳のアナイスがどんなサイレント映画を観ていたか、そしてそのことが意味するものは・・・」、そういう内容でした。とても興味深かった。16歳にしてすでに、私が知るアナイス・ニンが存在していたのです。

翻訳者であり、アナイスの作品を日本に紹介することに尽力されていて、アナイスとも親しくなさっていらした杉崎和子先生にお会いできたことも、大きな喜びでした。

貴重な一日でした。あの日あのとき、中田耕治先生と杉崎和子先生、おふたりがいらして、そこに私がいられたことは、もう気が遠くなるくらいに奇跡的な出来事でした。

人生の記念日です。

中田耕治先生は、マリリン・モンローにしてもアナイス・ニンにしても、そしてそのほかのさまざまな「私が惹かれるひと」たちに通じている先生で、私にとってかけがいのない作家です。先生はブログで、この研究会のことをお書きになっています。そのなかで、私の名を出し、「そしてこの日、山口 路子さんが、いつかアナイス・ニンについて書いてみたい、と語ってくれた。私は、この作家がアナイス・ニンをどういうふうに描くか、想像するだけで、うれしくなった」、こんなふうに書いてくださっているのです。(2014年2月10日の記事です)
中田耕治のコージートーク

私、しっかりしなきゃ、と思います。いつか、アナイスを、書きます。(2014年7月25日)

■アナイス■「絶対的な幸福」2014.2.19

「相対的な幸福で満足するべきなのだろうが、私は絶対が欲しい。絶対的な幸福を諦められない」

ページを開けばそこにほとんど必ず、自分の言葉を聞くことができる、アナイス・ニンの日記。『インセスト』からの言葉。

低空飛行が続く日常のなかに花を置いてみる。ピンクの濃淡で作った花束は、2日前に買った。

たぶん、私は、たいせつな人の笑顔がそこにあり、それを自分がしっかりと受けとめられたとき、絶対的な幸福を体験する。

■アナイス■「水声通信のアナイス」2013.10.3

Suisei「人が自分で呼び寄せる病気と、人が屈してしまう病気とを僕は区別する。そして僕は、自分で呼びよせた病気を抱えたきみをそっとしておきたかった」

「病気なら病気を楽しめばいい。しばらく一人になるために病気になることだってある。そうやって体は頭を支配しているんだ。こういうのは頭でどうあがいても解決できない問題だ」

自分自身の時間の流れ、精神の色彩を守るために、書棚にすがるようにして、アナイスでいっぱいの本、「水声通信」(アナイス・ニンの特集!)を取り出す。
夜はすがるように本を貪り読む。

ヘンリー・ミラーとアナイス・ニンの往復書簡があり、何度も読み返す。

上に書いたのは、ヘンリーがアナイスに宛てた手紙から。ヘンリーがこのような手紙を書いたのには理由がある。

まず、アナイスは、ヘンリーに会っていきなり「私、病気なの。しばらく一人になって休みたい」と言った。
ヘンリーはその通りにした。
ようするに、距離を置いて少し話をし、肉体のふれあいをしないまま帰ってきたわけだ。
それに対してアナイスは愛がないとヘンリーをせめた。ヘンリーはそれに対する長い手紙を書いた。

たしかに。
ヘンリー・ミラーの手紙には、アナイス・ニンを芸術家として尊敬していなければならない言葉が並んでいて、そして真実を言っていると思う。

けれど、私はアナイスの気持ちが痛いくらい。

芸術家として育てて欲しい気持ちだってあるけど、そんなのどうでもよくって、理性とかそんなのと遠いところでのがむしゃらさを欲するときだってある。そういうことなのだと思う。
ヘンリーにはわからないだろうな、そんなアナイスの気持ちは。

ヘンリーはこんなことも手紙に書いている。

「誰にも、愛する人にも助けてもらえないときというのがあるのだ。一人になるしかない。病気であるしかなく、病気に溺れるしかない。魂がそれを必要としているのだ」

これを愛する人から言われるのは苛酷。

こんなにあらゆる意味で頑丈なヘンリー・ミラーと長く関係を続けられたアナイスはやはり強かった。それも凡庸なかんじの強さではない。

なんだろう……、一番近いかんじなのは「しなやかな強さ」かな。攻撃的な強さではなく。

頑丈な強さにも、そして弱い精神にも対応できるのは「しなやかな強さ」だと思う。
アナイスは周囲の頑丈な男も弱い男も助けてきた、そんな存在だった。

しなやかなる強さは、もともと生れもったものなのだろうか、それとも経験で得られるものなのだろうか。

私はいったい何年生きればしなやかなる強さの片鱗でも身につけられるのか。

秋のくせに蒸している、こんな日は嫌い。

■アナイス■「アナイスの落ちこみを抱きしめる」2012.11.19

Anais2アナイスにすがり、ここから脱出したい、という精神状態。今回はアナイスの落ちこみに激しく共鳴。

***

このところ精神状態がおかしかった。
病的に、何かに憑かれ、何かを気にしている
。いつも、取るに足らない何かで、傷ついている。
自分を解放できないでいる。
みんなが私を馬鹿にしている、私を気にもかけない、誤解している、と思う。

そういう小さな不満を溜め込んで、褒められたことや、人に勝るものを忘れている。小さな屈辱にあうと、それが一日を台無しにする。(略)

さんざんに傷つき、疲れてヒューゴー(←夫です)の許に帰ってくる。
自分のだらしなさがやりきれない。それでも仕事を始める。

もうルヴシエンヌ(←パリ郊外の町、アナイスが暮らす場所)から出て行きたくない。難しく、辛いことばかり多い世間を捨てて、独りで暮らしたい。

***

自分か書いたのかと思っちゃった。アナイス。

あなたと同じ時代、同じ国に生まれたかった。心が痛むほどにそう思う。

メイ・サートンは「喪失はすべてを鋭利(シャープ)にする」って言ったけど、私は「悲しみがすべてをシャープにする」ってかんじ。

喪失と悲しみ、おんなじようなことかな。ちょっとちがうな。メイ・サートンのほうが具体的。

ああ、それにしてもこんなに悲しみに覆われてしまうと全身の皮膚が細胞が、あらゆる刺激に敏感になって涙腺を刺激する。それでもまだ大丈夫なはず。

■アナイス■「ヘンリーからアナイスへ」2011.1.12

Henri_2「きみは、スケールの大小にはかかわらず、本質的に芸術家です。
きみには鋭敏な感性で読者を魅了する力があります。
ただ理性と理知には用心してください。
問題を解決しようとしてはいけません。
むしろ、このようにいうのを許していただけるなら、諸々の問題、疑問、困難をもつことを求めてください。

狂気を養ってください。それから逃げてはいけません。

狂気にこそ芸術家にとっての智慧があるのです。

あらゆることを考えて煮詰めるのです。きみには表現の様式があり、自分の方法に熟練しています。説教してはいけません! 道徳的な結末はだめです。とにかく、そこには何もありません。

書いてください! ずっと」

もしあの日あのとき、フランスでヘンリーとアナイスが出逢わなかったら、文豪ヘンリー・ミラーは誕生しなかったかもしれない。

と言われるほどの影響をヘンリーに与えたアナイス。

そのヘンリーがアナイスにあてた手紙がまとめられた本。驚いたのは、そこには甘い恋人たちのささやきよりもむしろ、作家同士のきびしいやりとりがあったこと。

もちろん逢っているときは、激しく甘く愛しあったのだろうけれど、ことそれが創作となると、ヘンリーは容赦がない。換言すれば、それだけ、アナイスを対等に扱っていたということだろう。

それにしても「狂気を養ってください」とは。

ヘンリーは健全な精神をもっていたのだろう。

だからこのようなことが言える。
アナイスも、おそらくヘンリーよりは狂気と近いところにいたのだろうけれど、狂気のなかに埋没していったほかの芸術家たちとは一線を画したつよさが、あった。

昨夜は風邪で朦朧としたなかでこの本を読み終えた。いつもは近くにかんじるふたりを、ヘンリーとアナイスを、ひどく遠くにかんじた。

「書いてください! ずっと」
自分にむかってエールを送る朝。

■アナイス■「44歳のアナイス」2010.11.30

Anais私のブログのアドレスを見て、「あ、アナイス……」と言うひとはほとんどいない。
中田耕治先生の文学講座に出席なさっている方々くらいだった、反応してくれたのは。
あのときは驚きと嬉しさがあった。新しい世界に身を置いているのだと感じた。

そろそろアナイスの人生と自分自身の人生を重ねることから卒業したいとも思うのだけれど。

先日、知人とアナイスの話をした。

愛の遍歴で知られるアナイス、彼女は74歳で亡くなっているが、最後まで彼女は遍歴を続けていたのだろうか、というそんな話だった。
膨大なアナイスの日記、翻訳されているのはごくわずかでアナイス30代後半までしか詳細はわからない。

けれど、訳者の杉崎和子氏の「解説」によると、「1974年、ニンはその後の彼女の生涯を大きく変えることになるひとりの青年に出会った」とある。
16歳年下のルーパート・ポール。以後、30年間、彼と人生を共にする。
夫ヒューゴーとも別れないままに。
数か月ごとにルーパートのいるカリフォルニアと夫のいるニューヨークを往復する生活だった。

ニューヨークにいるときは、アナイスはルーパートのところに毎日午後4時に、必ず電話を入れた。
携帯も留守電もない時代。ルーパートは必ず家にいて、アナイスからの電話をとった。

最後の一年、末期癌に苦しむアナイスが最後の闘病生活を送ったのは、ルーパートのところだった。
ルーパートはアナイスの介護を一手に引き受け、臨終に立ち会った。

アナイスの死後、「私を海に戻して欲しい」という彼女の遺言を守り、小型飛行機をチャーターし、遺灰をサンタモニカ沖の海に散らしたのもルーパートだった。

カリフォルニアとニューヨークの二重生活を続けるアナイス、40代の半ばから亡くなるまで、恋の相手が他にいなかったはずはない。

けれどルーパートに勝る相手はいなかった。ある意味で、アナイスとルーパートの愛は永遠だった。

いろいろな愛のかたちがある。

アナイスを悩ましていた虚弱体質、精神の乱れ。それらは人生の後半、どのようになったのだろうか。知りたいとつよく思う。

アナイスがルーパートに出逢ったのは44歳のときだった。

■アナイス■「人工の冬」2010.10.8

Jin「あなたにはいつもあなたらしくいてほしいの。
あなたのなかに残酷な面があることもわかっているわ。
わたしはあなたにあらゆる特権をあげたい。
ありのままのあなたでいいの。
芸術家にして聖者、飢えた獣にして道化であるような」

久しぶりにアナイスの小説を手にとった。飢えているんだな、と自己分析しながら、ひとつひとつ丁寧に文字を追う。

『ジューナ』というタイトルの中編を読みながら、やはりアナイスの日記がスライドみたいに頭のなかを頻繁に横切る。

アナイスの場合、小説と日記、通常は小説がフィクション、日記がノンフィクションとなるのだろうけど……、アナイスの場合、それは濃霧のなか。

「私はあなたにあらゆる特権をあげたい」

これはアナイスの決定的な愛のかたちで、私が強く共鳴するところ。

近くにいる人たちは絶句するほどに、私はこの言葉と遠いところにいるように見えるかもしれないけれど、こうありたいと思っているのです。

ところで、小説家であるハンスが愛する女性ジューナに「きみはぼくを作家としてしか見ていない」と、すこし失望の香りを漂わせて言う場面がある。
作家としても見てほしいけれど、男としても見てほしい。
作家でないとしてもぼくを愛してほしい。
恋する男のわがままをこの台詞に見る。

そしていつものように自分と重ねる。
「作家として見てほしい。そして女としても見てほしい。両方おんなじくらいにね」
「7:3の割合でね」
「6:4くらいが嬉しい」
「2:8でよくってよ」
と、相手によって違ってくる。
もちろん「どうか作家としてだけ見てください」と願う相手もいる。

そんなことをぼんやりとした頭で考えはじめる。
今朝は気分が重かったので、家族を送り出した後で、もう一度ベッドに入った。
ようやく起きて、珈琲を飲みながら「人工の冬」を広げて、幾人かの人を思い浮かべながら、これを書いている。

さいごに、もう一箇所、引用。

「嘘の最悪なところは、孤独を創り出すことね」