■中山可穂■

■中山可穂■「サイゴン・タンゴ・カフェ」■2008.3.12

513tssba2l_2「過剰な愛はいつだってたやすく過剰な憎悪にすりかわるものだから」

一般受けはしないけれど一部の熱狂的ファンを持つ作家が、これまでとは違う形の小説を書いて、それが世間的な評価を受け、一方で熱狂的なファンから激しく抗議されたときのことについて語った言葉。

一方通行の愛の場合は特にそうだ。これは恋愛に限らない。血縁関係にあるもの、友人知人……。

過剰はよくない。

自分が過剰にそれを抱くことを常に警戒しているせいか、私は少し足りないくらいの女になりたいと思うことがある。

愛情のあれこれ、いろんなものが足りない、そういうひと。

大好きな中山可穂。待望の新作は、タンゴのリズムのなか紡がれた五編からなる小説集。

表題ともなっている五編目の作品が、とてもよかった。心が熱くなった。


そして五編目の作品を読んで、それまでの四編が違った色彩を帯びてくるという仕掛け(これは私が勝手にそう受け取ったのかもしれない)に、しみじみと感じ入った。

昨日は軽井沢も日中は十度を越え、へんな春陽気。冬から春への移行期、私が一年のうちでもっとも嫌いな季節。

■中山可穂■「熱帯感傷旅行」 2006.11.6

619s72d5rkl「なぜわたしはこんなところで、ひとりっきりで、こんなにも美しいものを見なければならないのか?」

無音の悲鳴を聞いたように思った。

みごとな一文だと思った。

失恋の痛み苦しみは、身体が弱ったときや、つらいこと、醜いことにぶちあたったときにも、痛感するけれど、やはりもっともこたえるのは、美しいものにふれたときだと思う。すくなくとも私はそうだ。

大好きな中山可穂の作品には、共感を超えた感動を多々味わっているけれど、やはり、自分は彼女よりそのエナジーが少ないだろうけれど、似た何か……やけどするくらいに熱い何か……を感じるから、ゆえに、大好きなのだろう。

この紀行エッセイは、失恋した中山可穂が、そのひとを忘れるために一人旅に出る。

けれど……。旅のさきざきで、甦る記憶。

「わたしのたったひとつの望みは、記憶喪失になることだった。あのひとにつながるすべての記憶を忘れたい。忘れなければ生きていけない」

日常に忙殺されて希薄になっている情熱にふれることができて、やはり、大好き、中山可穂、としみじみ思う夜。

■中山可穂■「ケッヘル」 2006.12.13

41oil7vd51l__aa160_「真に人間らしい人生とは、中心に愛のある人生のことだ。

誰かをひたむきに愛し、愛される、薔薇色の不安に満ちあふれた人生のことだ」

今年の六月に刊行された中山可穂の最新刊を、ようやく読んだ。

大好きな、たぶん、現在活躍中の作家のなかで一番好きな作家だから、読みたくてたまらなかったけれど、ずっと読めなかった。

自分自身の状況がそれに適応していたなかったからだ。

中山可穂の作品は、読むのに「覚悟」がいる。

こんな作家も、私にとっては、今生きている作家の中では、一人だけだ。

以前に坂口安吾のときにも書いたけれど、もう無条件に好きなので、批評などできない。彼女が書いた一言一句がいとおしい。

何より、ほんとうに美しい。

『ケッヘル』はこれまでの彼女の作品とは趣が違っていて、ミステリー仕立てになっていて、今までの、人の感情というものをぎゅっと凝縮したような作品ではない。

いろんなドラマがあって、もしかしたら、他の作家の作品に近いかもしれない

けれど、やはり、作者は中山可穂なので、そこかしこに、どうしても彼女の情熱が溢れてしまっていて、それがたまらない。

中山可穂の感受性というものに、あらためて惚れ直した本だった。

プラハの石畳は、謎めいた美しい女の背中に似ている」だなんて、風景を描いてもそれが風景にとどまらずに官能的であったクリムトや、木を描いてもそれが木ではなく、死への畏れであったシーレのようだ。

読んでからもう五日も経つのに、心身から離れない。

もうここまでくると、このような作家と同時代に生き、リアルタイムでその作品を読むことのできる幸せを感じてしまう。

■中山可穂■「悲歌 エレジー」2009.11.11

Hi「この手で直接抱きしめてやることはできなくても、何らかの火を熾して遠くからその生をあたためてやりたかった。

たとえば愛を後ろ手に隠して、それと気づかせぬまま、愛を貫く方法はないか」

二つの短編、一つの中編からなる、中山可穂の新作を昨夜読んだ。

このひとのを読むには状況を整えないといけないから、そしてそれがなかなか困難だから、購入してからずいぶん日にちが経ってしまった。

読み終えたら、やはり眠れずに、ようやく眠ったらすぐ朝で、眼が腫れていた。小説世界を眠りのなかに連れてゆき、泣いていた。

「同世代の作家を、それも、どこかの知らない人に類似を指摘されるような作家を熱愛していることを公表しないほうがいいよ」

と、何人かの人に言われる。

でも、読んだあとに本を抱きしめたくなるのは、この人のだけなのだから、周囲にどう思われてもいい。

彼女は、私が諦めたり、もしかしたら捨ててしまって、実は命にかかわるほどに後悔しているかもしれないものを、胸にきつく抱いて生き、書いているひとなのだ。

冒頭の文、三つの物語を貫いている作家の想いが凝縮されているように私には感じられた。

そして私も今、この想いに強く共鳴する。恋愛だけではない、あらゆる種類の愛情のゆくえをイメージして。

ほぼ同世代で同じ時代を生き、書いている作家の、変容しない核と変容してゆく姿とを、リアルタイムで感じることのできる幸せを、今、感じている。

外はこわいほどのどしゃぶり。今日は予定を入れていないから一日外出しないで過ごせる。