◎50歳の恋愛白書◎2010.3.5

 

51yew6uixtlこのところ、CDをリピート設定にしてエンドレスで流しっぱなしにしていることが多い。朝の気分で一枚選んで、それでずっと過ごす。

ようやく執筆がのってきていて、足が萎えてしまいそうなほどに、座りっぱなしの日々で、CDが終わると、キーを打つ手も止まってしまいそうで、それでリピートしなければならない精神状態。

 

いま、バルバラの悲しみと諦めがたっぷりとふくまれた濡れた歌声を聞いていたら、ちょっと前に観た映画のワンシーンが浮かんだ。


50歳の恋愛白書』という、内容からかけ離れた日本語のタイトルをつけられてしまったこの作品は、とても面白かった。

DVDになったらまた借りてみたい。

そのときに、正確な引用をしたいと思う。

イメージなので、正確ではないけれど、そのシーンは、惹かれ合っているひとくみの男女の恋が決定的になる瞬間を描いていた。


「私の、僕の、どこが好き?」

と問い合うなかで、女性が言葉につまりながら、自分の感覚を、しぼり出すように言う。


「よくわからないけれど、あなたの悲しさや怒り……そういうものを私の身体が、感じるの」


こういう恋はのっぴきならない運命をたどる。


相手の感情を体感してしまう。理屈ではなく頭でもなく身体が感じてしまう。

これは、アクシデント的な恋ではなく、重大な関係性のはじまりを告げる、恍惚と絶望のはじまりを告げる、そういう現象。

軽井沢、昨日は雪が降り、氷点下だったのに、今日は昨日よりも15度も気温が高くなるという。

◎ピアノ・レッスン◎ 2009.12.2

71v4onh31ll__sl1116_いま、観たい映画がなくて、ちょっと飢えている。


なので、過去の特別な映画を観たりして、その飢えをなんとかなだめているのだが、一年に一度は観たくなる特別な映画は、DVDを購入することにした。


「ピアノ・レッスン」は私が利用しているレンタルサービスでは扱っていないから、購入するにも、自分に言い訳がきいて精神衛生上、とってもよい。


渋谷の映画館で、ひとりでこの映画を観たのは、かれこれ16年前になる。


私は27、8歳で、新しい恋と出逢い、そのせいで、それまでいつも側にいたひとをどうしたらよいのか、という問題をかかえて、体重が日々落ちてゆくようなそんなかんじだった。


静かで深いエロティシズムが、湿った画面にじっとりと満ちているような映像世界、マイケル・ナイマンの、熱情をそっとかきたてるような音。


「準備」は整っていたのかもしれなかった。

ラスト間際、ヒロインが、それまで自分の命と同じくらい大事にしていたピアノとともに海に沈む。


彼女はその瞬間、ピアノとともに死に導かれることをたしかに、選択した。


けれど、ぎりぎりのところで、彼女は必死になってピアノと自分の足をつなぐ縄を解き放ち、必死になって海上にむかって、水をかきわける。


彼女が「生」を選択したその瞬間は、私が生を選択した瞬間でもあった。


私は、その場面で、愕然としたのだった。

いままでの彼と海のピアノが重なったことに、愕然として、自分のこころを知った。

そして、冷酷で身勝手であっても、それでも私は私の「生」を選択したい、とつよく思った。


あれから数回、自宅のビデオでこの映画を観た。


そして久しぶりの今回、私のこころに残ったのはヒロインのこころのつぶやき。


「自分の意志が怖い。何をするか分からない強い意志が……。」


薄暗い早朝、マイナス4度の空気は、白く澄んでいて、森のなかはピアノレッスンの世界を思わせるような、そんな風景。

◎愛を読むひと◎2009.6.22

51xao5qnkl「朗読者」は好きな本で、映画化されると知ったときは嬉しくて、さいきん、そのタイトルが「愛を読むひと」で、監督と脚本が、あの「めぐりあう時間たち」と同じと知って、ぞくりとした。


美しい映画だった。


とちゅう、正義について激しく語る学生が出てきて(主人公ではない)、そのとき強く、「ああ、この子の気持分かる、私にもあった、そういうときが」と思い、自分が年齢を重ねたことを実感した。


そうなのよ、ほんとうに、あなたの言う通りなの、でも人間って、こんなに愚かしかったり、状況に弱かったり、慣れるのが得意だったり、無感覚に身を委ねるのが好きだったりする、そういう生き物なのよ。


だから、すこしだけあとからみれば「なぜあのようなことを」と絶句し、嘔吐するようなそんなことを、これからもしてゆくと思うの。


それでも時折、許しがあったり、慈悲があったり、見えないほどに小さかったりするけれど愛があったりするから、すくわれるの。


「こんな世界、生きる価値があるのか」と思ったときもあったけど、問題はそこにはなかった。生きる価値があるかどうかの問題ではなく、とにかく、生きなければならないのよ、このところはそのように思うの。


激しく雨が降る軽井沢で、濡れそぼる木々の葉を眺めながら、映画のなかの、あの学生にひたすら語りかける、ひたるのが大好きな女となっている。

◎歓びを歌にのせて◎ 2009.6.25

31a9vh5d23lDVDで観賞。

予備知識ゼロで、だから期待もせずに観たけれど、心に響く映画だった、ようだ。


ようだ……、なんていやらしい表現をしてしまうのは、観終わってすぐは、「うん、よい映画でした」でおしまいだと思っていたのに、ここ数日、ふとしたひょうしに、主人公と恋人役の女性の会話が頭に浮かんで、それから、いくつかの情景につながる、そういうことがあるから、そうか、静かに心に響いていたのか、とひとごとのように感じている、というわけなのだ。


じわじわときいてるみたい。


いくつかの情景につながるきっかけとなる会話というのが、メモしなかったから正確ではないけれど、次のような感じ。


「(そのひとのことが)好きだと、どうしてわかるの?」

という女性の問いに、主人公の男が答える。


「一緒にいるととても幸福だ」


そう。なんてことのないやりとりなのだが、この種のやりとりが何回か出てくるので、私はそのたびに考えていた。


ほんとうに、どうしてそのひとのことが好きだとわかるのだろうか。


「どうしてそのひとのことが好きだとわかるのですか?」と聞かれたら私は何と答えるだろうか。


そして主人公の答えに、いくにんかのひとを思い浮かべて、


一緒にいて幸福だっただろうか(過去バージョン)。

一緒にいて幸福だろうか(現在バージョン)。


なんてことを考えた。


ストライクゾーンが広いのだろうか。

「幸福」というくくりでみると、わりとみんなクリアしているように思う。


そんなことをここ数日考えて、今朝、アイラインを引きながらふと思い浮かんだのは、「不在」という言葉で、そうだった、私の場合、恋愛感情の「好き」は、サガンの言葉の借用だけれど、「そのひとの不在を強く感じること」なのでした。

◎それでも恋するバルセロナ◎ 2009.6.29

51zihlb9kjl成就しない恋だけがロマンティック


ある程度、経験年齢を重ねれば、大部分のひとが知ってしまう、この真実を、ウディ・アレンが描いた映画。


それで。

「成就」って何だろう。
結婚なのかな。
結婚って成就なのかな。
違うよな。

なにかの事柄が二人の間にあって、それで二人は逢いたいときにいつでも逢える状況にない」、そういう恋だけがロマンティック。

そういう意味なんだろうな。


……というのは、あとからくっつけた所感で、観ている間、私はひたすらバルセロナに行って、バルセロナの街を自由自在におよぎたい、という欲望に支配されていた。


自分の内側に抱えこんでいる色彩の種類は、年齢とともに増える一方で、それでも、人生のあるシーズンは身を潜めていたりするから、忘れていたりするのだけれど、映画とか本とか、人との出逢いによって、突然に姿を現す


「それでも恋するバルセロナ」、この映画は私のなかから、「ほら、あなたこれ、もってたでしょ」と、ひとつの色彩を取り出して見せた。濃いピンク色だった。

◎エレジー◎ 2009.2.18

81lkiislatl__sl1500_急に、東京に出ることになり、せっかくだから何か映画でも観よう、といつものシャンテで上映中のを調べたら「エレジー」を見つけ、その内容に「どこかで聞いたようだな」と思いつつも、それ以上調べることなく、映画を観た。


まだ2月だけど、もしかしたら2009年のベストワンかも、と思わせるほどに、私好みの映画だった。

エロティシズムが。

みごとに、みごとに、あふれるほどに、描かれていた。

あまりにも感動して、その後の予定、食事が上の空になってしまうほどだった。


原作が我が書棚にあったことにも感激だった。

フィリップ・ロスの「ダイング・アニマル」。

さらにこの本、構成を考え中の物語に、ある部分を引用しようと考えていた、いまの私の「注目本」だったのだ。

こういうつながりにはぞくぞくとする。

原作では年の差が40歳なのに、映画では30歳となっていたことは残念。感動が半減されてしまう。

*こちらもごらんください→「何度もエレジー&ダイング・アニマル」。

◎マリリン・モンロー・ラストシーン◎ 2008.11.26

Mもう、何度目になるだろう、「追悼30周年記念限定版」で出されたVHSを、涙ぐみながら観賞した。


このビデオには未完の映画の映像や撮影シーン、ケネディ大統領の誕生日に「ハッピーバースデイ」を歌った、その映像などがおさめられている。


死の直前のモンローが見られるわけで、だから、彼女の「この後の運命」を知っている私としては、もう、それだけで、心の琴線に、彼女の笑顔が痛いほどに響いてくるわけだけれど、そういうのがまったくないとしても、ここに居るマリリン・モンローほど、美しい女性を私は、見たことがない。


自分のなかの女というものについて考えたいとき、何百冊のハウツー本よりも、この一本のビデオ。

モンローの視線の流れ、膝の動き……身のこなしすべてに女があふれている。


そして、意外にも、彼女の包容力を、今回、私は感じ取った。

薬でぼろぼろだっただろうけれど、彼女の瞳はよどんでいなかった。

私は、そこに吸い込まれるように、75分間を過ごしたのだった。

◎セックス・アンド・ザ・シティ◎2008.10.3

SatcmovieSATC、ファンです。もう何年も、救われている。

シューボックスセットを持っていて、気持がうちへうちへ向かってしまいそうなとき(もちろん小説つくるときのそれはオッケーなのだが)や、最近、おしゃれにうとくなってしまっているかも、と不安になったとき、手を伸ばすDVD。


4人の女性たちのファッション、ぎらぎらした向上心、欲望、に感染して、なんど危機を回避したことか。

だから、映画をとても楽しみにしていた。

ゆえに、ついつい有楽町での公開初日初回に行くという、とっても明るく無邪気な行動をとってしまった(しかも一人で)ことをここに告白。


映画については、いろいろ「論じられて」いるみたいだけど、ナンセンス。

あれは論じる映画ではない。

ゴージャスな夢物語としてただ楽しめばよいのだ。

私にとって、俗っぽい欲望は、人生をより生き生きとしたものにするために、とっても必要なスパイス。

そんなことを再確認させてくれる映画でもあった。

◎ぜんぶ、フィデルのせい◎2008.10.28

51ddozi304lフィデルは、フィデル・カストロのこと。

主人公の女の子がちょうど今の娘と同年齢ということもあって、とても興味深かった。

快適なブルジョワ・ライフを送っていたのに、親がコミュニストになったことから、生活が一転、少女はそれを無条件に受け入れることなく「なぜ?」を執拗に繰り返す。

そして、この「なぜ」のなかに、大人がどきりとするような本質があって、考えさせられる。

子どもの疑問とか指摘って、たいてい的を得ているから私は嫌い。

さて。

時代は1970年代。

中絶許可の署名運動なんかが出てきて、そうか、これにはサガンとかボーヴォワールとか、ジャンヌ・モローとかが署名したのよねえ、なんて思うと、少女をとりまく世界がぐっと身近になる。

反抗的な少女に手を焼く両親。

「ああ、その気持、わかります!」と共感してみたり、

「そうなのでしょうね、子どもからみたら、それって理不尽そのものなのでしょうね」

と、少女の心の動きに共感し、ああ、きっと私も娘からこんな風に思われているんだなあ、とこわくなったり。


恋愛ものではないけれど、1970年代がひとりの少女の目を通してとっても丁寧に描かれていて、よい気持になった100分だった。

 

◎モディリアーニ 真実の愛◎ 2008.5.16

51om7nneqvlDVDで鑑賞。

まったくのフィクションらしいし、モディリアーニの映画といえば、やはりジェラール・フィリップ。そしてジャンヌ役のアヌク・エーメ。

そう、「モンパルナスの灯り」。

だから、ぜったいぜったい、観ないほうがいいような気がして避けていたけれど、突然観たくなった。

そして、やはり、私にはぴんとこなかった。


けれど、エンディングテーマにやられてしまった。

久々に音楽でこんなにこころが揺さぶられた。

もちろん物語のラスト、ジャンヌの後追い自殺にかぶるから、それもあったのかもしれないけれど、私はほとんど一日中、DVDでそのシーンを繰り返し再生して、音楽を聴いた。

そしてネットで検索、それがキーディーという歌手の「マイ・リーズン」という歌なのだと知って購入、今朝メール便で届き、ずっとひたっている。

CDについている対訳では、

you're my reason to live」 あなたは私の生きがいなの

と、あるけれど、やはりここは英語のまま、ニュアンスにまみれて、こころのなかに落としたいところだ。


生きがいとはちょっと違うように思う。


それにしても。

つとめて冷ややかな視線で世の中を見渡してみても、あきらめたようなため息をついてみても、「やっぱり、いまいちな映画だった」とつぶやいてみても、ジャンヌが、モディリアーニを追って窓から身を投げたシーンで号泣して、感動というものは、なにか自分をしばっている鎖から思いっきり飛び出したところにあるのだなあ、と深く感じている。


いま書いている物語のBGMはもっぱらシューベルトの一曲で盛り上げているけれど、「マイ・リーズン」を加えよう。


軽井沢は緑が眩しい季節になった。手を入れていない庭はぼうぼう、それでも緑が美しいというだけで、涙が出るほどに胸をうつ。これも「マイ・リーズン」効果かな。

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