■2011年■

■■美しい不協和音■■2011.12.29

111229_1618012011年という年は、私にとっておそらく45年の人生のなかでもっとも激しく感情が揺れ動いた一年だった。

悪夢と思いたい天災人災と重なったことも大きい。


仕事もプライベートも言い訳めいたことならいくらでも書けるけれど、とにもかくにもこの一年を生き抜けたことに安堵する。


一年の終わりになって知り合った魅力的な女性のかわいらしい口から興味深い言葉を聞いた。


彼女は私のブログを読んで、とてもシンパシーを感じる、とおっしゃった。


私は驚いて「えっ。どんなところが?!」と訊ねた。だって、彼女は、とても健全でピュアな世界に身を置いているのだと感じていたから。


身を乗り出して答えを待つ私からちょっと身体をひきながら(こわかったのかな)、彼女はしばらく考えて、「不協和音が聴こえるんです」とおっしゃった。


それからいろいろとヨーロッパの芸術が大きく動く時代について、前衛と言われる芸術ついて語って、「不協和音」の説明をしてくださった(けっしてマイナスの意味ではないと)のだけれど、私の頭のなかはもう、「不協和音!」がこだましているだけ。


これって、喜ぶべきことなのかどうか、一般的なことはわからないけれど、私は満たされた想いを胸に抱いていた。


不協和音はけっして醜いものではなく、人生に必要な不協和音だってあると思うし、それがあるべきときにあるべき場所に存在するなら、きっと美しくさえあると考えるから。


それにしても、彼女が私のなかの「不協和音」にシンパシーを抱くだなんて、ほんとうに人間というのは、いろんなものを抱えて、それを外に出さないで懸命に生きている存在なんだなあ、と胸が熱くなった。


これからパソコンのない環境へゆくので、今年最後のダイアリー。


写真を何にしようか考えたけれど、このTシャツが、自分でデザインし、言葉をつむいだ作品がこの一年を象徴しているように思える。


45
歳の私の2011年が、すぐに折れそうなくせにめちゃくちゃ切れるナイフを、めくらめっぽうに振り回して周囲の人たちを脅かし傷つけた一年だったとしても、生きている限り私は、それをできるかぎりのエナジーで、美に変容させたい。

それが私を支えてくれる人たちへの愛だと、信じたい。

■「親鸞 いまを生きる」 姜尚中 田口ランディ 本多弘之■2011.12.13

111213_075701_2先日書いた、書店で購入した3冊中の1冊。

親鸞の思想をめぐって三者がそれぞれのお話をする、という読みやすくて興味深い本だった。

論語の「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があったから、わあ、と懐かしい想いにとらわれた。

高校、大学受験のときに、これを気に入って机の前に貼って勉強していたのを思い出したからだ。

けれど、この本で、もっと気に入る言葉を知った。

清沢満之(きよざわまんし)が「人事を・・・」を言い換えた言葉。
天命に安んじて人事を尽くす

これ、「いま、ある」という事実は必然で、どうしようもないもので、あらゆる事実は自分の意志だけによって「いま、ある」のではない。

たとえば自分のいのちだって、因縁のなかで両親の生命のいとなみのなかで、たまたま与えられたもの。

この世にはだれひとりとして、自由に自分の意志で生まれたひとはいない。

そんなふうに考えて、そのうえで、それをひきうけて、

自分が与えられたいのち、与えられた条件、環境のもとで全力をつくしましょう

ってことのように、私は受け取った。

今の私にとっては「人事を尽くして天命を待つ」はちょっとキツく厳しいかんじだから、やわらかーな包容力に似たかんじがする「天命に安んじて人事を尽くす」に乗り換えることにした。

流れに身をゆだねる感覚をもちつつも、守るべきところはなんとしても守る。

自分がすべきことの核だけは失わないで生きてゆく。

そんなふうな人生の過ごし方。

■「あなたは誰? 私はここにいる」 姜尚中■2011.12.10

111210_111401惨い現実を受け入れる決断。失意と絶望の闇の中にそれでも希望のかすかな光を垣間見ることができるのは、わたしたちの中に感動する力が決して萎えることはないからではないでしょうか

 

久しぶりに書店で長い時間を過ごす機会があった。

最近は書店で本に「出会う」ということをしていないな、と思った。

こういう本を購入しようという目的をもってアマゾンから購入してばかり。

おびただしい数の本の中に目を泳がせて、「それ」をキャッチする、ということをずいぶんしていない。

 

……だって、あなた、ここ何年か、意味不明の書店恐怖症で、書店に足を踏み入れられなかったんだから当たり前でしょ、と自分でつっこんで、それがこうしてこんなに長く書店にいられるようになるだなんてねえ、なんだか感慨深いわねえ、とおばあさんっぽくしみじみしてから、3冊、選ぼうと決めて書棚をめぐった。

 

「あなたは誰? 私はここにいる」はそのなかの一冊。

 

***

 

本書は「美術本」的な装いの「自己内対話」の記録であり、現代の祈りと再生への道筋を標した人生哲学の書でもある。

 

***

 

ここに惹かれた手にとった。だって、「ミューズの恋」と似た匂いがあるでしょう。

 

そしてとても興味深く読んだ。3.11の経験の上にたち、絶望や死を身近にちりばめて、それでも冒頭でひいた文章が全編を覆っているようなかんじ。読後は明るい。著者が出会った絵と、それぞれとの物語も、とてもおもしろい。

 

また、

 

***

 

大地震と津波と原発事故が起こった直後、わたしも、無力感に襲われました。いま、美術の話などしている場合なのか、絵画の感動について語ることにいったい何の意味があるのか、懐疑の念が次から次へとわき起こってこの本を書く気力も失いかけていました。

でもやはり、意味はあるに違いないと思い直したのです。美に、絵に感動することもまた、微力ではあっても、必ず人びとの生きる力になると思ったからです

 

***

 

この部分、共鳴してうなずいた。

 

それから自分の体験をふりかえって、感動が減ることイコール生命力が弱まることなのだと強く感じた。

 

■■手当てのじょうずなひとたち■■2011.12.6

111206_084501先日、久しぶりにアロマトリートメントで極上の時間を過ごした。

裸になって、やわらかく、けれど力強い女性の手で、ほぼ全身をケアされる。

日常、整体に通ってはいるけれど、それとはまた別の気持ちよさがある。


整体の先生は中国から帰化した、私より五つくらい年下の女性で、とても明るくて優しい。


アロマトリートメントを受けながら私は、整体の先生の手を思い出し、そしていままさに私の背をゆっくりと滑る女性の手を感じながら、「手当て」という言葉を思い出し、そこから連想して、H子ちゃんのことを想った。


よく知られているように、あるひとの身体に不調があったとき、そこに自分の手のひらをそっと当てるだけでも、効果がある。


だから私は近しい人が不調をうったえると、よくわからないままに、とにかくその部分に手のひらを当てる。

氣が出ているかどうかはあやしいけれど、とにかく想いだけはこめて、手のひらを当てる。


世の中にはこの「手当て」がとても上手なひとがいると思う。

実際に手を当てるのではなくても、その存在とか言葉とかまなざしとか、そういうもので「手当て」をする。


トリートメントを受けながら想ったH子ちゃんも、「手当て」がとても上手なひと。


H子ちゃんは才能あるデザイナー。

本づくり雑誌づくりなどを中心にご活躍。

ひと月くらい前に、久しぶりにお昼をご一緒した。


私は以前のブログでも書いたように、脱力状態にあって、「いまはそれでいいんだよ」と、自分を肯定してくれる言葉を渇望していた。

単なる気休めっぽい言葉ではなく、すごく説得力ある言葉を。

こころから「いまはこれでいいんだ」と思えるような言葉を。

……ほんとうに要求ばかりだ私は。


H子ちゃんはそれをくれた。


私の書くものについて、そのスタイルについて、そして私という人間のタイプについて、集中して言葉をつむぎだし、私に伝えてくれた。


自分の人生とは別のところで物語をつむぎだすのではなく、身をけずって書くひとなんだから、もっとそれを自覚しないと。


アウトプットばかりじゃだめだよ、インプットしないと。まちがっていないよ、まちがっているときは、私言うから。路子さん、それじゃ、死ぬよ、ってちゃんと言うから。


私はH子ちゃんを、美しいひとだなあ、と思う。


よけいなものをそぎ落としたような上品なファッション、ウイット&ユーモアのセンス、なんといっても、彼女はとてもきれいに食事をする。彼女のように美しく食べるひとはけっして多くはない。


そして、数時間、目の前の相手に真摯に対峙して、自分の言葉で意見を述べる。

自分のやり方を押しつけるのではなく。

ひとことも「私はこうしている」という言葉が出てこない。

自分のことは出ない。


もうひとり、似た香りをもつひとがいる。

長年の友人のS子ちゃんで、私はいつかこのふたりを引き合わせたいと思っている。


トリートメントを受けながら、すっかりリラックスしきって、よだれが出そうなくらいになって、そんななかでぼんやり「手当て」を想い、H子ちゃん、S子ちゃんを想い、私も受けるばかりでなく、もう少し「手当てをする」ことを意識したいものだ……、と、そんなふうに考えていた。


あんまりきもちがよかったから、サロンでマッサージオイルを購入、まずは自分の身体で手当ての練習。

■■毬谷友子とジョナス・メカス■■2011.12.2

Wずいぶん前、1020日、木曜日の夜、ひとりでゲートシティ大崎アトリウムに向かった。

毬谷友子のコンサート。

「はじめてのフリーコンサート」だという。出入り自由、観覧無料の空間での、弾き語り。ランチタイムと、夜の2回公演。


このお知らせをいただいたとき、私は驚いた。フリースペースで彼女がやるの? と。


れでもあのシャンソンを聴けるなら絶対行く、と出かけた。

地下一階のそのスペースは吹き抜けになっていて、近くにはファーストフード店があり、幼い子どもを連れたひとたち、イヤホンと携帯電話で自分の世界に入り込んでいるひとたちがいて、二階と地階をむすぶエスカレーターには仕事帰りの人たちの姿が行き来していた。


ほんとは嫌なんじゃないかな、なにかのお付き合いがあって、出演することになったんじゃないかな。私だったら、こういうところでなにかしゃべろ、って言われたら絶対無理!


そんなことを思いながら一番前の席に座った。

私は講演会や映画、ライブなどでもたいていは一番後ろに座る。

けれど、今回ばかりは、周囲の雑音を耳にするのは耐え難い。


やがて毬谷友子が登場した。瞬間、その場の空気がパリ色になった。

眼をみはりたくなるような真紅と、眼がすいこまれるような漆黒、ふたつの色だけを身にまとって、彼女がそこにいた。


私は、ああ、こういうひとが女優というにふさわしいんだ、と思った。


特別なのだ。

となりにいそうな親近感がいいとか、かざらないところがいい、なんていうのは嫌い。

特別じゃないと私は嫌。(それにしてもパーフェクトなまでに美しい衣装だった! すばらしいセンス!)


そうしてコンサートが始まった。


どんなに周囲が動いても私だけは動かない。

そんな意志で臨んだ。いちいち大げさなのはあいかわらず、と自分でつっこみながら。


「アコーディオン弾き」の直前、目があったとき、彼女に私の意志が伝わっただろうか。


一時間の見事な舞台だった。

途中、彼女は言った。震災後、熱心に活動を続ける彼女は言った。自殺が増える一方の日本に住む彼女は言った。


このような空間で、私の歌を聴きにきたのではなく、なんとなく通りすがっただけでも、私の歌の、なんらかのフレーズで、心が動いて、たとえば死を思いとどまろうとか、そんなふうに思っていただけたら、私がここにある意義がある、と。


てらうことなく、逃げることなく、声を震わせて言った。


私はそのとき、ジョナス・メカスの言葉を思い出した。


巨大な組織によって生み出された戦争、苦難、環境破壊、精神の荒廃に喘ぐ今の世界を救えるものがもし、あるとするならば、それはなんだろう、と自問して、ジョナス・メカスは次のように言っている。


それはひとりの人間の、個人的な他人に気付かれることもない、内面の活動、小さな個々の努力、そうして成し遂げられる仕事である

そうなんだ。

いま、ここでまさに毬谷友子がしていること、それが大崎のビルのパブリックスペースで、周囲を急ぎ足で行き交うひとがいる、このような場であっても、全身全霊で伝えたいことを伝えようとする、ひとりの人間の活動。


こういうことがたぶん、もっとも重要なことなんだ。


泣けてきた夜だった。

こんなにも、ひとりの人間の心をふるわせて、人生における重要なことを想わせてくれて、存在意義、じゅうぶんです。


と、受け手になると思えるのに、発信する側としてはそう思えないのは欲深さのせい? それとも単なる馬鹿? 


有名になり、飛ぶように本が売れて、その本が翌日には飛ぶように中古として売られて、忙しくなって、百パーセントの力ではないものが世に出て、そういうことを自分は望んでいないのに、ほんとうに届けたい人のもとに届けたい、というのが本音なのに。

それなのに、ときどき、落ち込むのは、もういいかげんやめにしたい。もちろん数が多ければ、「その可能性」が増えるということはあるけれど。


でもやっぱり自分だけは誤魔化せないから、いかに自分が満足できる仕事をするか。


大崎のビルを出て、オフィスの匂いのする人々の群れにまざって駅に向かいながら、ぐるぐるといろんなことを考えた。


ジョナス・メカスはこんなことも言っている。


球全体が腐敗と放射能の霧に包まれても、そこに詩がある限り人間に対する希望は存続する。

これは愚者の願い、こんにちの思想である。わたしは愚か者だ。」


……私も、詩を創り続けなければ。


絵はワッツの「希望」。



☆久しぶりにブログを更新したら、何人かの方からメールをいただきました。みなさん共通していることは、死んじゃったんじゃないかと心配だったけれど見守るしかないから、ただ、更新を待っていた、ということ。昨夜はとても幸福な気持ちで眠りにつけました。ありがとうございます。

■■言葉のちから、手紙のちから■■2011.12.1

111201_081001二カ月ほど前に、ある本の原稿をほぼ書き終えた。

同時に、さまざまな事情が重なって、私はその本の出版を断念した。

その本について考え始めてからは一年以上、執筆を始めてからは三カ月が経っていた。

最初から、どこかひっかかりながらの仕事だった。

断念した後、悔しさや未練よりも解放感に似た気持ちが広がったことで、自分の決断は間違っていないのだと思うことにした。


それはそれとして、けれど、本は出版されないことになったというのに、一冊の本を書き終えた後の、あの独特の脱力感はやってきた。

その本に関するすべての資料をしまいこんで、次なる企画の本を並べたというのに、まったく力が湧いてこない。

こうなるとすごく損をしたような気分になる。


秋で、早春からずっと続いていた心身の不調が少し回復しつつあったこともあり、余計に脱力感に悩まされた。

あっちの痛みがやわらぐとこっちの痛みが際立つみたいな? 違うかな。


すこしなまけてみようかな、と思った。

周囲から見れば、なまけっぱなしかもしれない私ではあるのだろうけれど、本人は、本人なりに懸命にあがいている毎日。

ちょうど例の本の仕事がなくなったためにスケジュールもあいたことだし。


と自分に言い聞かせた。

そしてその通りに過ごした。

一週間前に風邪をひいた。

最初はがんばっていたけれど、二日間寝込んだ。

本を読んだ。

こにある少女から母親への手紙があった。

***

ママへ

久しぶりにお手紙書いたよ。ママは最近具合が悪くて、今日は○中学校に入って初めてママのお弁当じゃなかったよ。

だけど、それでママがよく寝て元気になっておしりをたたかれながら一緒に勉強(?)できるんだったら、わたしは売店のお弁当、大歓迎だよ。

だから気にしないでね。

ママの身体は少しストレスに追い込まれちゃう時があるけど、それは「病気」じゃない! すこし、ストレスを感じやすい性質なだけだよ。

だから自分は病気とか思わないで・・・。病は気からって言うから。朝起きても「頭が痛い」じゃなくて、「いつもより少しだるいけどよーく寝た」って言ったら、身体が言う通りになる、って本に書いてあった。だから「つかれた」じゃなくて「がんばった」にしよー!

わたしからのアドバイス(1)ベッドに入るかソファで本をよむか、を区別する。本を開いたまま寝てることが多いから。(2)夜の打ち合わせはひかえめに(大人にもいろいろあると思うけど)(3)元気のいい日はできるだけ汗をかく(4)朝はちゃんとサラダも食べる(5)シャワーだけじゃなくお風呂に入る。ゆっくり入る(6)腹八分目

わたしからのアドバイス、役に立つといいなー。

でも一番は「自分のいい所をたくさん人に言ってもらう」こと。すごい効果が出るらしいよ。じゃあ、がんばってね!

***


ひれふしたくなるほどのエネルギーがそこにはあった。

風邪は、脱力生活をしていたから、寝込むまでになってしまったのかな。

身体が弱れば心も弱る。

言葉がこんなに胸に染みいる。

人々からの想いが身体に染みわたる。

大切にしたい人たちへの愛情が募る。


12
1日、今日の都心の最高気温は7度だってラジオで言っていた。

昨日より15度くらい低いって。

玄関を開けると冷たい空気が身体を覆った。


軽井沢を思い出すー、手袋貸してー。と娘が言う。
失くさないでよ、気に入っているんだから。と言いながらクロエの手袋を私は渡す。瞬間、雪が見たい、とほとんど切望した。

■■どんなセンスと戦っていますか■■2011.9.21

110921_111501_2文章、言葉に対する愛情。

自分にしか表現しえないこと。

文学への想い。


そういうものにふれたくて、このところの夜の読書は須賀敦子。


昨夜は『ヴェネツィアの宿』を読んだ。


私にとってある意味で特別な本となっている『うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ』のタイトルと、その核ともいうべきものになった言葉がある『ヴェネツィアの宿』。


須賀敦子がパリで得た友、カティアという名のドイツ人の女性が言った言葉。

しばらくパリに滞在して、宗教とか、哲学とか、自分がそんなことにどうかかわるべきかを知りたい。いまここでゆっくり考えておかないと、うっかり人生がすぎてしまうようでこわくなったのよ


昨夜は関川夏央の「解説」(タイトルは「彼女の、意志的なあの靴音」)のなかに、心ひかれる箇所を見た。

***

晩年のある時期、私は朝日新聞の書評委員会で彼女と同席していた。

帰りには「黒塗りの車」つまりハイヤーがひとりひとりに出るのだが、彼女はそれに乗ることをいやがった。

ああいうものに平気で乗るセンスとずっと戦ってきたのよね

と私にいった。

その言葉は気負いなくさらっと発声されたのであるが、私は少し驚きつつ、温厚な表情の裏側にひそむ強いなにものかに触れた気がした。

***

「ああいうものに平気で乗るセンスとずっと戦ってきたのよね」

私自身は軽薄だから、ハイヤーを準備されたら「わーい」と喜んで乗っちゃう。

けれど、須賀敦子のこの言葉に、私は考えた。

ハイヤーに平気で乗ることうんぬんではない。


私はどんなセンスと戦っているのだろうか、ということだ。


それで、いろいろと考えて眠れなくなってしまった。

こういうセンスと戦っているのよっ、と、どんどん戦闘対象みたいのが浮かぶ時期と、そうでない時期とがある。ちょっと休戦中みたいなとき。

■■ほめられるのが好き■■2011.9.8

110908_190401_2ソニア・リキエルは「流行にとらわれない、デ・モード、脱流行の服」をつくるとして独特の評価を得ているデザイナー。


彼女は

「美しさの秘訣、仕事のエネルギー源は何ですか?」

と問われて、含み笑いをしながら答えた。


あなたは、美しい。あなたは、頭がいい。あなたのクリエーションは最高、といつも私をほめたたえ、力づけてくれる男がいたということね


「私もそうだわ」と思う人ってどのくらいいるのだろう。


嘘でも何でもほめられてほめられてほめられて、どんどんのびてゆく人と、そうじゃなくて、ときどき手厳しい言葉を必要とする人とが、いるように思う。

手厳しい言葉をもらって、そのときは、しゅんとなっても、じわじわとエナジーがわいてくるような。


私はほめられていたい。

ほめられることで実力以上のものが出せるように思う。


私のささやかなクリエーションだって、ほとんどが、それをエナジーにして、なんとか完成させてきた。


これって、サガンの考えにも通ずるようにも思う。


サガンは人は不幸からは何も学ばない。幸福から学ぶ。

とか、いまあなたが不幸であるなら、それは間違っている。幸せであることが正しいのよ。って言っている。


苦労しないとダメとか、試練が与えられないとダメとか、一度人生のどん底を経験しないと一人前にはなれんっ、みたいな意見と正面衝突する考え。

だけど私はサガンを支持したい。


ソニア・リキエルにしてもサガンにしても、創造する人だ。


創造する人って、自己批判能力の高い人が多いんじゃないかな。

さりげなくずうずうしくも、自分自身もそのなかに入れながら、だからこそ、せめて周囲からはほめられたいに違いない、と結論づけよう。


あの、一冊の本のための原稿が完成する間際、私ったら、なんてくだらなくつまらないものを書いたしまったのだろう! みたいになって、全部帳消しにしたい、破り捨てたい、という衝動におそわれるときのことを思い出しながら、そんなことを思った。

■■情熱恋愛■■2011.9.5

110905_204901歴代のノートからようやく見つけた!

 

ルージュモンの、大好きな一節。正確なのが欲しかった。

 

「情熱は苦悩を意味する。情熱は忍従することを意味する。責任ある自由な人格に対する、宿命の優越を意味する。

愛の対象よりも、愛そのものを愛すること、情熱をそれ自体として愛することは苦悩を愛し求めることに他ならない。

 

情熱恋愛とはわれわれを傷つけ、われわれを滅ぼすものを欲望することである

 

そして、

 

「情熱の人というのは自分の理想の女性を見出そうと願い、またその女性しか愛しようとしない男のことである」

 

考えてみれば、一度は観たいと願うバーゼル美術館の門外不出の絵画『風の花嫁』を描いたココシュカも、ムンクもロセッティもシーレも、私が好きな画家たちは「情熱の人」。

 

この世に生まれてきて、人生という舞台を、望む望まないを問われないままに与えられて、舞台の上に押し上げられて、今はいったい何幕なのだろう。

 
今日は夕刻にそんなことを思った。


それからルージュモンの「情熱恋愛」のページを発見できて、やっぱり、何があっても私は、ここから遠くないところで生きていたいなあ、とあらためて思った。

■■棟方志功、わたくしで始まる世界■■2011.8.31

110831_231701必要があって、久々に過去のノートを読み返していたら、その時代時代で書き留めた言葉に、再度胸をうたれた。

そのひとつが、板画家、棟方志功の言葉。1997年のノートにあった。

わたくしは わたくしで始まる世界を持ちたいものだと生意気にも考えました

わたくしもわたくしで始まる世界をもちたいものだと生意気にも考え、書くことを始めたのでございます(軽井沢夫人調)。

なんて言葉を胸でつぶやいて、しばし、少し熱い想いのなかでたたずんだ。

それから、他の人たちと自分を区別して生きるということについて、考えた。

八月の終わり。

 

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