■2012年■

■■芸術のほんとうの力■■2012.12.12

51c9vzzjfflこのところ、絵画に関する本を読んでいる。

私の処女作である『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』が出版されたのが、2003年、それ以来、絵画についての本は出していない(のちにこの本は『美神(ミューズ)の恋』というタイトルで文庫化)。


この10年間で、ちょっとした絵画の謎解きブームみたいなのがおきて、たくさんの絵画の本が出版されていたことは知っていたけれど、敢えて、手にとらないでいた。

ちょっとした自分なりの反抗。

だって、私が『フラウ』に絵画のエッセイを連載した1994年から1998年まで、それから2003年にようやく本が出るまでの5年間、「絵画の本は売れない」という理由でどれだけの企画がボツになったか。

……反抗なんていうとウソ臭いかな。単純にすねていたのかもしれない。

時代とじょうずに寝ることができなかったことに。タイミングが悪いんだよ、私は、と。


でも、いつまでもすねていたら次の仕事ができないので、今私は10年の空白をひとり埋めているところ。

とはいえ、どの本も、なぜか私にとっては、無味乾燥。これはいったいなんだろう、と本気でそれこそ謎解きをしたくなるほどに。


んななかでとびぬけて面白い本が一冊あった。

若桑みどり先生の『イメージを読む』。


最初からひきつけられた。

ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画について、

「ミケランジェロがほんとうに表現しようとしていたことはなんだったのか」といったことをいろんな角度から見てゆくのだけれど、そのなかでこんなくだりが。


「いまでも、私がいっていることはあいかわらずある種の人にとっては危険きわまりないことなのです。ある友人は、そういう学説は発表しないほうが無難だ、と忠告したくらいです。

ときには、ひとは命がけで描いたり、書いたりしてきたのです

それはいまでも同じことです。

でも、たとえ危険があったとしても、真実は追求しなければなりません。

いちばん恐ろしいのは自分のいっていることが真実ではないということだけです。」

そしてラスト。


「たとえそこに描かれた思想や信仰が今は滅びてしまい、意味を失ってしまっているとしても、絵は残ります。

絵の生命は死ぬことはなく、古びることもなく、それを人が見て美しいと思うかぎりつねに現在です。

それこそが芸術のほんとうの力なのです。」


画家が伝えようとしたことを理解するためには、画家がそのイメージにこめた意味や思想を理解することが必要、という立場に立ちながら、芸術のもつ「美」というエナジーにずっと魅せられているかんじ、人間の創ったものへの愛おしさ、畏怖……そういうものが行間からにじみ出ていてそれが私の胸をうつのかもしれない。


知識は、その人を、その絵を、理解したいと思えばもちろん必要。


そんなのあたりまえ。

けれど、根底に美とか愛とか情熱とか、人間の弱さとか強さとか、そういうのがなければ、やっぱり私はだめ。


大切な本が一冊増えた。そのことがとても嬉しい。

■あなたの声を見つけなさい■2012.12.11

41xrzjk2yelうっとりするほどに美しい文章を書く人はけっして多くはない。


簡潔で、おおげさな形容がないのに細部までイメージできて、書き手の呼吸までもが伝わってくるような文章。

ひらがなと漢字のバランス、句点、読点の選び方。

そういうことすべてに気を向けて書いている人はけっして多くはない。


さいきん資料としての本ばかり読んでいて、美しい文章に飢えていたので、休憩しようと本棚を見渡して、須賀敦子の『塩一トンの読書』を手にとった。


ふわん、と吐息が出てしまった。

ほんとうに好きだ、この人の文章。

早すぎた死がほんとにほんとに残念でならない。


須賀敦子を「恩師」とするうらやましい作家、青柳祐美子さんが、最後にエッセイを寄せている。そこに、須賀敦子が(おそらく文章による創作を志す)生徒たちに対して、いつも言っていた言葉が書かれていた。


Find your voice(あなたの声を見つけなさい)」


こころに染みるな。ゆり戻される感じがするな。


私の声は、たぶんまだ枯れていない。

そろそろ暗闇から抜け出してうたわなければいけない。そういう時期にきているはず。

■■恋よりも幸せなこと■■2012.12.7

51jxagg2nkl佐野元春がナビゲーターをつとめる番組を偶然に観た。

最初のほうで、その番組の趣旨みたいなものが流れて、ソングライターは現代の詩人だ、みたいなことを言っていて、「言葉」にフォーカスしているところに興味をもった。


それで、私が観た日のゲストがなかにし礼だった。


なかにし礼は作家としても知られていて、小説は読んでいないけれど、エッセイ『恋愛100の法則』は何度も読んだ。

そこからあらわれるなかにし礼という人は、強烈に恋愛体質の男だった。


ふたりのトークにはかなりひきこまれた。

身体が前のめりになるかんじ。


途中、いくつかの定型質問のなかで、もっとも幸せを感じることは?(楽しいことは?だったかな)があり、なかにし礼は即座に「恋」と答えた。


彼はもう70代半ば、聴衆は学生さんだったから、きっと、その答えを聞いたとき、彼らは、なかにし礼の「過去のもの」としてその答えを受け取ったかもしれなかった。


けれど、私にはわかる。


なかにし礼は、現在の自分のものとして答えたのだ。彼はいまでもきっと、恋に溺れる。


て、「恋」という答えを聞いた直後、佐野元春は質問を重ねた。


「いいものを創ったときとどちらが幸せですか?」


なかにし礼は即答した。


「いいものを創ったとき」。


そのときの彼の表情を見た瞬間、突然に胸をつかれてしまった。

そこには創作者の孤独があった。

(セリフはすべて私の記憶によるものなので、多少違っていると思う)


そんなわけで『恋愛100の法則』を読み返した。


「不倫」というタイトルのなかから、一部紹介。


「そう、人間には情熱というものがあり、それは時々ある対象をみつけて燃えあがらないではいられない。大抵の場合不倫という恋をする。

遅すぎた恋、ままならぬ恋、一緒に暮らせない恋、許されない恋、人の道に背き、つらく苦しく、胸かきむしる恋。嫉妬にもだえ、絶望に身を焼く恋。(略)


がしかし、いかに真剣だったとしても、この二人が結婚でもして一緒に暮らしたりすれば、退屈な日常生活が始まり、愛は確かに育っていくかもしれないが、やはり人間はそれだけでは満足はできず、行き場を失った情熱は「恋がしたい、恋がしたい」とわがままを言いだすのである

これは仕方のないことなのだ。

人間に情熱というものがあるかぎり。

男も女も。」


「倫」を「明鏡国語辞典」で調べてみた。

「人としてふみおこなうべき道」とあった。

以前は「不倫」という言葉にすごく抵抗していた。


恋愛そのものが狂気なんだから「人のみち」とか「道徳」とか「倫理」なんてないでしょう、なんで「不倫」になるわけ? 

というかんじの反発だった。


今は、ずいぶん抵抗がなくなった。

不倫は不倫。

契約としての結婚という制度がある社会に住む限り、不倫はグリコのおまけみたいに、もれなくついてくるもの。


日本中のひとに、「いま、恋愛中のひと!」って手をあげてもらって、そのなかで「いわゆる不倫をしているひと!」ってさらに手を上げてもらったら、何パーセントくらいになるのだろうか。


かなりの数になるのではないかと私は思っている。


みんな大なり小なり苦しんでいる。


恋愛しない退屈よりも恋愛で苦しむほうを選んだひとたち。


幸せを感じる瞬間が多く訪れますように。

そんなふうに誰かにいのりたくなる、けだるさが残る金曜日。

■■そういう仕事をしているか■■2012.12.5

20121204_190740強烈な不幸に充分に傷つき、それを執拗に記憶して、年月の光に当てるのが作家の仕事である。

その時不幸はもう生ではなくなり、そこに発酵が行われている。」


野綾子の『自分の顔 相手の顔』を久しぶりに読み返した。

そしてこの文章にたちどまった。

そういう仕事を私はしているか、と自問した。

自覚的にしているときもあるし、無自覚なときだってある。

充分に傷つくということだって、たぶん、知っている。

ただ、誰かに傷つけられた、という意識はない。

自分が傷を負った、という事実だけがある。

そして身体にそれが反映される。


私の場合、発酵が行われるまで最低10年はかかるみたい。

ということは今の傷がなんらかの形で表現されるとしたら、10年後。なんて簡単に言ってはみても、これ命がけ。


さいきん、いろんなことにひっかかる、つまづく。

一度は理屈をつくってクリアしたはずの必殺「クリスマス」。

このイベントも、今年はひっかかってしかたがない。

クリスマスは何の日? 

あなたがそれをお祝いする理由は? 

とみんなにインタビューしてまわりたいくらい。

これ、怒りに近い感覚かな。

でもそんなことはしない。

徒労に終わるから。

けれど、自分の芯にはしっかりとこの怒りに似た感覚を記憶しておく。それが私には重要なことだから。


ただ、周囲の愛しい人たちが、このイベントで心華やぐひとときを過ごせるなら、それでいいじゃない、と思えるようにもなった。


自分の考えをおしつけることと、自分の芯にその考えを記憶しておくことは違うから。

■■涙腺がなんども刺激されたひととき■■2012.11.22

1127昨夜、オードリーの本の出版を記念したイベントを開催した。


出版記念イベントなるものに、いつも躊躇してしまうのは、私にとって「出版した本」は「産んだ子ども」と同じようなかんじで、つまり、子どもを産むたびに、出産記念イベントを催している人ってどうなの? と思うからだ。

しかも一人ではなく、何人も産んでしまっている(本ね)。


そのたびに、お祝いの会を(自分で)開催するからキテキテっ、ではあまりにもずうずうしい。

そんなことを今回は、一週間くらいとても考えてしまって、結果、そんな私的なイベントにいらしてくださる方々というのは、私にとってなんて貴重な方々なのだろうっ。

にゆきつき、その方々の人生における「時間」をいただくのなら、「来てよかった」と思っていただかなくては失礼にあたる。


と、まあ、当然のことなんだろうけど、そんなことを胸にいだいて会にのぞんだ。


そうしたら、不思議な現象が起きた。

胸のなかが薔薇色のなにかあたたかな粒子でいっぱいに満たされて、私は、原稿いっさいなしで、いま、想うことを、オードリーについても、ご挨拶でも、お話させていただいた。


トークイベントで落涙の危機を経験したのも、ほんとに泣きたいほどに感謝のきもちでいっぱいになったのも、家に戻ってからも幸福感でなかなか眠れなかったのも、はじめてかもしれない。


そんなのを感じとったのか、イベントの手伝いをしていた娘が家に戻ってきて、なんだかんだおしゃべりをしたあとに「ママ、おめでとう」と言った。


最近は辛辣なことばかり言うようになって、それを指摘すると「ママに似てきたんだよ」と返していたりしたから、とても嬉しかった。


AYUMO
さんのオードリーメイクも新鮮だった。「ティファニーで朝食を」のイメージ。

ご参加いただいたみなさまには御礼を申し上げたいと思いつつ、今日は身体がいうことをきいてくれず、週明けになってしまいそう。せめてブログで、いまの気持ちを伝えたい。

ありがとうございました。

■■海からの贈物、彼女の思考のスタイル■■2012.11.21

Wmiいま、とりかかっている本で、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』から一部、言葉を引用したらそのままはまってしまった。久しぶりの本、でも読むのは5度目くらい。


アンは、飛行士のリンドバーグのおくさんで5人の子どももいて、自分自身も飛行士で作家でもある。そんな彼女が自分自身をみつめなおすために、一週間、家族から離れて海辺でひとりきりで過ごした。


そしてさまざまなことについて考えをめぐらせて、一冊の本ができた。


それが時をこえて私を感動させる『海からの贈物』。

アンが49歳のときだった。

私はそのときのアンの年齢に近づいている。

だからかな、今回は年齢についての部分にひきよせられた。


アンは「40から50にかけての時代」を多くの人が誤解しているという。


みんなこの年齢にあらわれる徴候を悲劇的にとらえている、それは違うのに。

どんな徴候か? たとえば、不満、焦燥、疑惑、絶望、憧れ、などなど。


よく考えてみて。

これらは、若いとき、青春期の「成長の徴候」と似ていない?

いいえ、同じじゃない?

なのにどうしてみんなこの徴候が40をすぎてあらわれると「成長の徴候」ととらえないの?

「衰弱の徴候」なんてとらえるの?

 そして、精神的な沈滞、神経衰弱、酒、恋愛、度外れに激しい仕事、などに「逃げ道」を求めようとするの?

違う違う。

生きて行く上での或る新しい段階」がきたの。

そう、「それまでの活動的な生活に伴う苦労や、世俗的な野心や、物質上の邪魔の多くから解放されて、自分の今までの無視し続けた面を充実させる時が来たの」。

これは自分の精神、心、才能の成長ということを意味するの。




……ほんとうにそうだな。


ただ、同じ徴候があらわれても、青春期と違うところは、その出所というか、モトが、なんとなくわかっちゃうところかな。

それがつらい。


でも、アンのいう、「自分の今までの無視し続けた面を充実させる時が来たの」には、考えさせられる。


私が今まで無視し続けた面、ってなんだろう?

今夜はオードリーの本の出版記念のイベント。

一緒に本を作っている編集者さんたちと、いつも私のことを気にかけてくださっている方々と、しずかにたのしくエレガントに時間を過ごしたい。


一冊の本が生まれるということについて、昨夜は考えを泳がせた。

そしてあんまり卑屈になるのはやめようと思って、眠りについた。

■■アナイスの落ちこみを抱きしめる■■2012.11.19

Aアナイスにすがり、ここから脱出したい、という精神状態。

今回はアナイスの落ちこみ方に激しく共鳴。

 

***

 

このところ精神状態がおかしかった。

病的に、何かに憑かれ、何かを気にしている。

いつも、取るに足らない何かで、傷ついている。

自分を解放できないでいる。

みんなが私を馬鹿にしている、私を気にもかけない、誤解している、と思う。

 

そういう小さな不満を溜め込んで、褒められたことや、人に勝るものを忘れている。

小さな屈辱にあうと、それが一日を台無しにする

 

(略)

 

さんざんに傷つき、疲れてヒューゴー(←夫です)の許に帰ってくる。

自分のだらしなさが、やりきれない。

それでも仕事を始める。

もうルヴシエンヌ(←パリ郊外の町。アナイスが暮らす場所)から出て行きたくない。

難しく、辛いことばかり多い世間を捨てて、独りで暮らしていきたい。

 

***

 

自分が書いたのかと思っちゃった。アナイス。あなたと同じ時代、同じ国に生まれたかった。心が痛むほどにそう思う。

 

 

 メイ・サートンは「喪失はすべてを鋭利(シャープ)にする」って言ったけど、私は「悲しみがすべてをシャープにする」。


喪失と悲しみ、おんなじようなことかな。

ちょっとちがうな。

メイ・サートンのほうが具体的。


ああ。それにしてもこんなに悲しみに覆われてしまうと全身の皮膚が細胞が、あらゆる刺激に敏感になって涙腺を刺激する。それでもまだ、だいじょうぶ、なはず。

 

■■オードリー重版のお知らせに、あれこれ■■2012.11.15

51bm49hlz1lフェイスブックを運営してくれている秘書みたいなモナミカ・ベティちゃんと、来週の出版記念イベントの打ち合わせをしていたら、編集者の岡田さんから電話があり「オードリー重版です」と嬉しいお知らせ。

そう、嬉しいお知らせ。

でもどちらかというと、安堵のほうが強いかも。ほっとした。

 

書いているときは書いているときで産みの苦しみがあり、出版したらしたで売れ行きとか批評とかに神経がすりへる。

そしてうっかりイベントなど企画すると、人間不信におちいる。

社交的じゃないのに社交的なふりをするのなんかやめる、なんて何度目かの決意をする。

 


そして思い出すのがメイ・サートンの『独り居の日記』。

 

本を「売ること」に関係することがどうしてこれほど気持ちを動揺させるのだろう?」

に続いて、私のような性質の作家にどうやって、そういったもろもろのことに対応しろというのか、みたいな愚痴が続く。

 

ほんとだよね、と一人でつぶやく。

 

また、新刊についての書評でこてんぱんに批判されたことについて、あれこれと言ったあとに、こんなふうにも言っている。

 

しかし私が、自分の作品はよりよい評価に値する、いつかは正しく判断されるだろうと信じなかったら気が狂うか、あるいは自殺するだろう」、だから、信じ続けるのだ、と。

■■ネガネガとポジポジ、そして安吾■■2012.11.9

Ki上田にお住まいの殿方からメールが届いた。

ヘップバーン、おめでとう。しっかり息継ぎしながら、ますます輝いてくださいね」


返事を書いた。


「息継ぎの方法、おしえてください(涙)それからだんだんしなびてきて、輝きって何? ってかんじです(号泣) 出版関連のイベントとか新刊が出るとそれにからんだもろもろのことで、神経がかなしい情況です。

やっぱり調子にのってあれこれ企画しなければよかった、わたしのばかばかばかっ、とネガネガしております」


ご返事が届いた。


「らしいですね、路子さん。無理にポジポジしてもきっと逆効果でしょうから気が済むまでネガネガするのも手です。息継ぎの仕方も得意ではなさそうですね。できるまでずっと息を止めてみていてください。酸素が必要だと体が教えてくれます。萎びてきているはずないでしょ、あなたが。十分輝き続けていますよ。目の前の鏡、少しくもっているでしょ!! ヤマグチ・ミチコという生き方、これからが見ものです。大丈夫よ、戦ってれば。」(以上、少々脚色あり)


ああ。安吾の言葉だ。


「しかし、生きていると、疲れるね。

かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。

戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。

しかし、度胸は、きめている。

是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。

そして、戦うよ。

決して、負けぬ。

負けぬとは、戦う、ということです。

それ以外に、勝負など、ありゃせぬ。

戦っていれば、負けないのです。

決して、勝てないのです。

人間は、決して、勝ちません。

ただ、負けないのだ」


ここまでくると座右の銘、といってもいいくらいだな。

私の好きな人生の真実がある。

絵は、ワッツの『希望』。軽井沢時代からずっと私を支えてきた絵。まだまだいける。戦い続けることがだいじ。

■■「オードリー・ヘップバーンという生き方」発売☆■■2012.11.8

__都内では今日明日くらいから、地方でも今週末くらいには、店頭に並ぶそうです。


生き方シリーズ第4弾。

シリーズとしては珍しく、帯がまかれています。


帯には、サブタイトルである「存在感のある女がもつ永遠不滅のスタイル」という文字が。


帯は見てすぐにわかるように、「ティファニー・ブルー」です。

カヴァーに「ティファニーで朝食を」のオードリーを使ったので、それに合わせました。

担当編集者岡田さんのアイデアです。


彼は印刷の色が、限りなくティファニー色に近くなるように、都心のティファニーの店舗まで出かけて、なんらかのティファニー・ブルーをゲット。

それを参考に色を決めていったのです。


この情熱!!!(もしかしたら愛妻ちゃんになにかプレゼント買ったのかも。それは教えてくれない)

オードリー。いままでつきあった女性たち、シャネル、サガン、マリリン、たちと比べると、たぶんもっとも「バランスがとれている」女性だと思います。


その人間性というところにスポットをあてたとき、もっとも多くの人たちの支持を得るだろうと思われる、そんな女性。


それでも、ええ、それでも人生はままならないのです。

彼女が苦しんだ数々のことがら、最後の最後まで、心を痛めていたこと。

そんなことを、私は半年オードリーとともに過ごして、体感してきました。


賛否両論あるかな。


とにもかくにも、このブログを訪れてくださっているみなさまには、ぜひともお読みいただきたいと願います。

また、出版記念のイベントがあります。

以前に私と大きな問題を起こしている方(だれですか)以外は、どなたでもご参加できますので、お申し込みのご連絡お待ちしております。

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