■男性作家(外国)■

■悪の法則■2014.1.15

51pvhraba3l__aa160_昨年末は『悪の法則』に支配されたかんじがする。

信頼できる女性たちから勧められて、でもすくいのない物語ですよ、路子さんは精神状態の良いときを選んで観たほうがいいです、なんていう「注」つきだったから、結局映画館に足を運ぶ勇気がなく、原作を購入して読んだ。

昔からホラーがだめというのとつながっているのか、私はむごい映像もだめだし、人がばたばた死んでゆく映画もだめ。

いちばんだめなのは性的快楽殺人関連かな。

だからこの映画は観なくてよかったのかもしれない。本でじゅうぶんに打ちのめされてしまったから。

……もしかしたら与えられる映像ではなく自分の想像世界のほうがずっとむごいのかもしれないけれど。

それでもコーマック・マッカーシーが創り出した世界の人物たちのセリフは面白かった。

たとえば、これ。

信頼できる女性が面白い言葉があった、と言って教えてくれた「モラル・ジレンマ」のあたり。

女性にもてる弁護士に対して知人が分析する。きみがなぜもてるかと言えば、モラル・ジレンマがあるからだと。女は男のモラル・ジレンマ、精神的パラドックスに惹かれるのだと。

そして男も欠点のある女に惹かれる。それはこの女を直してやれるという幻想をもつからだと。

……うーん、たしかにそれはあるな。

ただ、私自身がモラル・ジレンマを抱えている男性に惹かれるかといえばそれはあまりないかもしれない。

どちらかといえば、私を好きになってくれる人たちの多くは「この女を直してやれる」と思っているような気がする。

本のなかからセリフとしてひとつだけ抜き出すとしたら、これかな。

「その人を知っているというのは、その人が何を欲しがっているかを知っているということ」

私は彼のことを、彼女のことを「知っている」だろうか。

彼らが何を欲しがっているか知っているだろうか、そんなことを考えた。

それからコーマック・マッカーシーの頭のなかをぐるぐると想像して、寒くなった。

私は彼に共鳴しない。

「今日はこの冬一番の寒さです」って、早朝のラジオから流れてきた。

ようやく一冊の本を書きあげた。

昨日、けっこう長い時間いじっていた初校を編集者さんと一緒にチェックして、ひとだんらく。三月に出版予定。

■往く人の少ない道を■2013.11.14

A今度書くかもしれない本の打ち合わせをするなかで、ユニークで愛すべき編集者さんが、スコット・ペックの『愛と心理療法』の全訳が出ていることを教えてくれた。

『恋に溺れて女になる』で、私がスコット・ペックの言葉を引用していたことからの流れで。 さっそく購入。

『愛すること、生きること』。

とってもストレートなタイトル。

その第一部、冒頭。

「人生は困難なものである。これは偉大な真実、もっとも偉大な真実のひとつである。」

ここを何度も読んでみて私は、この言葉が実感として自分の中に入っていることに気づいた。

釈迦も言っていることなんだけど、ほんと、そう思う。

人生は困難なもの。

誰もが問題を抱えて、そして誰もがそんななかでひとすじの希望を見ようとしている。

眠る前の読書タイムに少しずつ読み進めている。

昼間読み始めちゃうと原稿が書けなくなるから。

一日が過ぎるのが早すぎて、あれ、気づけば締め切りまで時間がない。

そんな状況にあるから。

すわりっぱなしで腰が痛い。

先日、花を買った。

お花屋さんで目に飛び込んできた青紫のあわあわとした花。

トルコキキョウ。

強烈ではない、ふんわりとして品のよい美しさにみとれた。

こんな美しさがあればいいのに。

『愛すること、生きること』の帯にはこんな言葉が。

精神的成長という“往く人の少ない道”をいかに進むか…… みょうに、惹かれる言葉。

「名もなき人たちのテーブル」マイケル・オンダーチェ 田栗美奈子 訳■2013.10.15

41mxmkuqggl久しぶりに、ずっしりとした小説を読んだ。

「イングリッシュ・ペイシェント」で有名な作家の新刊。

ここのところ離れてしまっている世界に、本を読んでいる間だけでも戻れたようで、胸が熱い。


オーダーした本が手元に届いたとき、まず装丁の美しさに息をのんだ。潔い美しさとはこういうもののことを言う。

飾っておきたい本。

そして毎夜、少しずつ読み進めていたのだけれど、言葉が選び抜かれていて、内容ももちろん、そのことに感激した。

訳者の方は、言葉をとても大切にしている方だ。

そして大切にしていて、センスというものも持ち合わせている幸運な方だ。


帯にある文章を簡単にするとこんなふうになる。

11歳の少年の、故国からイギリスへの三週間の船旅、せつなくも美しい冒険譚。

いくつもの印象的な言葉があった。

「彼がそんなあれこれを覚えているのは、自分の考えをはっきりさせるためだったのではないかと思う。

カーディガンのボタンをきちんと留めて、自力で暖まろうとする人のように。」



「彼には、自分の求める生き方を選んだことによる穏やかさがあった。

そして、そんな穏やかさと確信は、本という鎧で身を守る人にだけ見られるものだった。」


面白いこと、有意義なことは、たいてい、何の権力もない場所でひっそりと起こるものなのだ。」


「彼女の生きる世界の大部分は、本人の胸だけに秘められていた。」


「じかに関わらずに通りすぎていく、興味深い他人たちのおかげで、人生は豊かに広がっていくのだ。」

「ある作家が、“ややこしい魅力”を持つ人物について話していた。心の温かさと当てにならないところをあわせもつエミリーは、僕にとって常にそうした存在なのだ。人から信頼されるのに、本人は自分を信頼しない。善人なのに、自分ではそんなふうに思わない。そんな込み入った性質が、いまだにどうも釣りあわず、折りあいがつかないままだった」


でも、失ったものを探すと、至るところに見つかるんだ。」



「訳者あとがき」にオンダーチェのインタビューが紹介されていた。

そのなかにまた、書きとめておきたい言葉が。


「フィクションではあっても、書き手はそこに紛れもなく自分のさまざまな面を見いだすものだ。マイケル少年は架空の人物だが、私自身の不安や願望を映し出しているのは間違いない。

フィクションの力は強くて、時には事実をしのぎさえするのだ



私はこの言葉を今日、胸に大切にしまおうと思う。

読んでよかった。この本にめぐりあえたことに感謝をする。

私も、そう遠くない日に、事実よりも強いものを手がけたい。

■■精神的に気にしてはいけないこと■■2013.8.12

Img_20130812_144404サマセット・モームの「サミング・アップ」を再読。

成功した作家の回想録。

成功していようがいまいが、ものを書いて発表するということでは同じことをしているわけで、興味深い箇所がたくさんあった。

モーム曰く、自分の作品に対してつねに、この作品ぜんぜんよくないのかもしれない、という懸念がつねにあるから、読者さんから称賛されると、とってもとっても元気になる。

だから「称賛は作家には大切なもの」なので、称賛を求めるのはこれ、仕方がない。

けれど本来は。

作家は作品を自分自身との関係で考えるべきであり、読者がどう反応するかに関心をもつのは経済的な理由でやむを得ないだろうが、精神的には気にすることはない。作家は自分の魂の解放のために創作するものである

そう。

精神的に気にしてはいけないのだ。


これは作家に限らず、自分自身信ずるものを胸にいだいている人すべてに対して言えることだと思う。

自分のしていること、発信したことに対して、社会的動物として気にしなければいけない場合もあるけれど、根本的なところで、そう、精神的に、気にすることはない、というより気にしてはいけない。禁止。そんな気がする。


『特に深刻な事情が……』をお読みになった方のレビューのひとつに、書評で知って遠くの書店まで買いに出かけ、読んで、もう少し生きてみようと思った、というのがあり、私はパソコンのまえで涙が止まらなかった。

■■過ぎ去ってゆく瞬間■■2013.6.3

Dsc_0158フリーダ・カーロの本を読んでいたら、イサム・ノグチの言葉をひろえた。このふたりは、ひととき、恋人関係にあった。

「われわれは常に変化の流れのなかにある。

これはアインシュタイン流の相対性理論に近い考えだ。

すべてが瞬く間に過ぎ去ってゆく。

ただできるのは過ぎ去ってゆく瞬間、瞬間の物事をとらえ、これこそ真実だと主張することだ


ほんと、そう思う。

私ができるのは、過ぎ去ってゆく瞬間、瞬間のものごとをとらえること、そしてこれこそが私なりの真実なのだと、私なりのやりかたで表現することだ。

誰とも似ていないのがいい。

大きな力をもったひとに接すると、その人の色彩が自分のなかに強く出ることがあるけれど、こころの真ん中に、小さな湖みたいに静かな水があればきっと、自分だけの色彩が可能になる。そんなふうに思う六月のはじまり。

写真は、トークイベントのときにスタッフのみかちゃんとまつださんからいただいたお花。いつも近くにいるひとたちからの、思いがけない贈り物。逃避の本のカヴァーとお花の色がおんなじようになっている。胸が熱くなった瞬間。

■■教養によってすくわれるのは■■2013.5.1

S「教養というものが二人にある場合、無心と感激の水準に高められて、永く続く。そして、その感激のなかから苦しいものが生まれてくる恋愛の危機も教養によって救われる。

教養を身につけることこそ、恋に備え、恋を永続させる唯一の方法である」

フランスの作家、アンドレ・モウロワの言葉。

紙の切れ端にメモしてあったものがノートに貼ってあった。

うなずけるような気もするけれど、ちょっと違和ありかな。そもそも、恋って長く続かせるものなの? その必要があるの? と私は思う。

教養によって続けさせる必要がある男女の間には、恋というクレイジーシーズンを経たあとの、「意義」みたいなものがあると思う。

一緒にいることによって為し得る互いの自己実現、唯一無二のパートナーシップ、そういうものが。


教養がものをいうのは、恋愛の危機時というよりも、失ってはならない人を失いそうなとき。

失わないように、教養が手を差し伸べてくれるように、今は思う。

外は雨が降り出した。

少し離れたところから「濃霧」という言葉が聞こえる。

雨じゃなくて、あの軽井沢の濃霧のなかに身を置きたいきぶん。

絵は、以前に「失ってはならないひと」というテーマでエッセイを書いた、シーレの「死と処女(おとめ)」。

■■夜のパリ■■

20130429「夜のパリ」


三本のマッチ

一本ずつ擦る 

夜のなかで

はじめのは

きみの顔を隈なく見るため

つぎのは

きみの目をみるため

最後のは 

きみのくちびるを見るため

残りのくらやみは

今のすべてを想い出すため

きみを抱きしめながら


飢えてプレヴェール。

好きな世界にはいりこむ。

たぶん、そのまなざしがすごく好きなのだと思う。視線の動きというか、瞳の温度みたいなのが。

その空間に積極的な音はない。BGMもいらない。吐息だとか、シーツのこすれる音だとか、咳払いだとか、外の車とかエアコンの音だとか、遠くに聞こえるサイレン。そういうのがいい。


状況を設定できるなら、大雨の降る昼下がり。天気の良い日が続く休日の夕刻。ほかのことを何も考えずに、ただ、それだけでいい。そんなふうに思える瞬間。

きっと。こんなことを夢見続けていくのだろうな。

プレヴェールの夜のパリ。

久しぶりにパリに出かけたのは、サガンをほぼ書きあげた直後の、ちょうど今頃だった。もう三年前。

いまは、外国にそれほど惹かれない。ローマでカラヴァッジョの絵は観たいけれど。

だからといって国内ですごく行きたいというところもない。


いまの一番のよろこびは、週に一本のペースで仕上げる約束をしている物語ができたとき。
できた! と思った次の瞬間から次の物語を作りはじめるのだけど、らくなことじゃないんだけど、それができたときがこんなにうれしいんだからやらないと。

自分に言い聞かせ、これを書き終えたら原稿に戻る。

■■生まれるまでに何年生きた?■■2013.4.15

410lvx2nj8l__sl500_生まれるまで私は24年生きた

俳優のジャン・マレーは24歳のときジャン・コクトーに出逢っている。

ジャン・マレーによる『私のジャン・コクトー 想像を絶する詩人の肖像』は、かなり面白い。

愛し合うふたりには「理解」があるという、希望を感じることができる。


読むのは3度目くらいかな。


1937年、ジャン・コクトーが私を誕生させた。その時点で私たちの運命は交差し、結局はひとつに溶け合うことになった

コクトーも同じ想いだった。

すこしずつ私は知り、君を認めた、そして自分が生まれつつあることを理解した


「奇跡の組み合わせグループ(←命名:みちこ)」に属するふたりだったということだ。

コクトーがマレーに送った言葉が好き。

いっぱいあるけど、今日はこれ。

君の欠点が君なのだ。それを育みたまえ

生まれるまでに何年生きましたか? まだ生まれていませんか? 何回も生まれちゃいましたか?

あいかわらず、いくつかのことで胸を苦しくしている月曜の昼下がり。

■■異邦人■■2013.2.25

Fly_130214_ihoujin_m_pm_img_2冬の日の夕刻、三軒茶屋のパブリックシアターに出かけた。ある方からお誘いいただいたのだけれど、お誘いの言葉に「行きます!」と即答したのは、さいきん、そういう匂いのものに飢えていたことと、原作がカミュの『異邦人』だったからだ。

私はお芝居というものについて語るほどのものをもっていない。

その「もの」とは、知識であり経験であり、好きだという情熱であり、それを人生の一部にしようという覚悟のことを言う。

だからここで内容については何も言わない。

ただ、やはり、自分だけの作品を創作し、それを表現したいというエネルギーに触れて、たいへんな力をもらったことだけは、ブログに書き残しておきたいな、と思った。

それから、一つの作品から人が受け取るものは、ひとそれぞれなのだ、という当たり前のことを強く感じたことも。

私は頭があまりよくないので、カミュの『異邦人』を好きなのに、たぶん、カミュが表現したかったことのほんの少ししか受けとれないでいるのだと思う。

不条理とか実存主義とか、ほんとによくわからない。

それでも『異邦人』で好きな箇所というものはあり、そこにはラインを引いている。

今回のお芝居ではそこがピックアップされていなかった。

ああ、ここをはずすのか、と思った。そして一つの作品から人が受け取るものは、ひとそれぞれ、と思ったわけだ。

私が好きな箇所のひとつ、ラスト。

一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」

先日、バレンタインデーについての屁理屈を書いた。

少し遅れて優しいお友達からとても素敵なチョコレートをいただいた。嬉しかった。あんなブログ書いちゃったけど怒らないでね、いただくと嬉しいものなのね、理屈なんてどうでもいいや、と思っちゃうくらい。ハートを感じちゃうのね、と彼女に言った。

自分で自分をもてあますとき。

■■幻覚を破って■■2013.2.14

20130214真理をわきまえる」とは、幻覚に凝り固まったこの世で、その幻覚を破れる能力があることです

 

たとえば、生きることは幸福で尊くて楽しいものだと思っているが、それは幻覚です。

生きることは残酷な連鎖なのです。

生きることは「苦」です。

悩み苦しみに満ちているのです。

「真理をわきまえる」人とは、我々の認識を隠している膜を破る人なのです。

苦しみを乗り越える方法を教えてくれる人なのです。

このような人が、実際にいます。それはお釈迦様です。

***

うーん。

お釈迦様かあ。お釈迦様の教えに出会えばいいのですよ、とアルボムッレ・スマナサーラさんは言う。スリランカ上座仏教長老、という地位にある人だ。

読みやすい本ではなかったけれど、私がいつも思っていることがいくつか書かれていて、面白かった。

世間はバレンタイン・ムードがあふれている。

稀にこのムードにすうっと乗れる年もあって、そんなときは、ふだんお世話になっているなあ、と思う殿方たちにチョコレートを贈ったりするのだけれど、たいていは乗れない。

クリスマスと同じく、頭のなかがクエスチョンマークではちきれそうになる。

なぜ、それをするのですか? が頭から離れない。とっても苦しくなる。

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