■女性作家(外国)■

■ロスと『パピヨン』と「あのときのあなた」と■2013.11.20

81o4fv07fl『特に深刻な事情があるわけではないけれど、私にはどうしても逃避が必要なのです』が、中国で出版されるみたい。うれしい。

この本の最後のほうでエリザベス・キューブラー・ロスの自伝『人生は廻る輪のように』を私は紹介している。

ロスは死の概念を変えた魂の名医、と言われていて、強烈な個性をもった人で、その功績もとてつもなく大きいんだけど、『特に深刻な……』出版後、「興味をもってロスの本を読んだらすごく面白い!」という声をわりと多く聞く。

先日も「もう、ほとんどロス教信者です」、なんて言うかわいい女性から「ロスはこんなふうに言っている、あんなふうに言っている」という話を聞いて、再び読んでみようと思った。

ロスの本ではなく、ロスという人にせまった本、田口ランディの『パピヨン』だ。

昨夜から今朝にかけて読んだ。

すごく確執のある父親を看取るというテーマが重なっているから、とても重たいんだけど、以前読んだときよりも、理解……とまではいかなくても、共鳴できることが増えているような気がした。

パピヨンはフランス語で蝶という意味。「蝶」がこの本のシンボルでもあるのだけど、それとは別に気になるキーワードがあって、それは「受容」。受けいれる、ってこと。

キリスト教の世界観と東洋の世界観が、なにか深いところで一緒になっているかんじ。

西も東もなくて結局のところ「人間」をじっと、じっと、目をそらさないでじーっと見つめてゆくと、そこにいく、みたいなかんじなのかな。

ロスの本からの引用もあって、そのなかから胸に響いた箇所を。

「可能な限り悔いる気持ちと和解することに最大限の努力を払っていただきたい。

人生において、願望がすべてかなえられると考えるのは非現実的だ。

おなじように、完璧でありつづけること、後悔しないこともまた悲現実的である。

後悔する自分を許すことだ。

もっとよい選択をしていればよい結果が得られたと考えるのも真実とはいえない。

あのときのあなたは、あなたなりに最善をつくしたのだ」(『永遠の別れ』から)

「やりたいことだけをやる、というのは本当にたいせつです。

そんなことをしたら貧乏になるかもしれない。

車を手放すことになるかもしれない。

狭い家に引っ越さなくてはならないかもしれない。

でもその代わり、全身全霊で生きることができるのです。

世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができるでしょう。

人生の目的を達成したのですから。

そうでないと、娼婦のような人生を送るはめになります。

つまりなにかある理由のために生きる、ほかの人のご機嫌をとるために生きるはめになります。

それでは生きたことにはなりません」(『「死ぬ瞬間」と死後の生』から)

ロスの本も、『パピヨン』も、私は魂レベルで理解してはいない。

けれども読後、こんなふうに思った。

自分が美しいと思わないことをしている自分を受けいれて、そして、自分が進みたい道を、すべての虚飾……誰かが決めた道徳、必要と思いこんでいるモノなど……をとりはらって、見つめること。

もし、そこに何かが見えたなら、そこを歩くこと。できるかぎり身軽になって。

■■ドゥルス・ポンテスの「涙」■■2013.9.17

51y0jdoge2l早朝からずっとドゥルス・ポンテスを聴いている。

ふだんは対訳を見ながら聴いたりしないから、あるものによってはタイトルさえ知らずに流していたりするけれど、なんというか、彼女のファドには、人生にたゆたうかんじがあって、人間の数だけ幸福のかたちの数があるようなことを思わせるものがあって、人はそれぞれに異なる存在なんだ、というかんじもあって、とても落ち着く。


なかでも「涙」という歌が好き。

大切な人を失って苦悩する内容だからたぶん、暗いんだろうけれど。

たとえば、ラストのフレーズはこんな詞(対訳:松田美緒)


もしも 私が死ぬときに 

あなたが 泣いてくれたと 知ったなら 

あなたの涙 ひとつぶで 

たったひとつぶの 涙で 

なんと幸せに 逝けるだろう



サガンもそういうことを言ったひとだった。

この歌には「絶望」という言葉が二回も強烈に出てくる。

絶望して わたしは絶望して 

心のなかで 自らを罰する」と。


それでも、絶望しても、もうだめだ、と思ったとしても、人はいつか疲れて果てて眠り、目を覚ます。そういうことの繰り返しです人生は。

■■喪失はすべてを■■

Ro喪失はすべてをシャープにする

ってメイ・サートンが言っていたけどほんとだな。

どんな本開いても、どんな音楽聴いても、どんなひとたちに会っても、胸に響く、するどく、響く。

資料として読んでいたロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』。

ロマン・ロランが訳者の高田博厚にあてた手紙のなかの一文。

社会と自我との矛盾に引き裂かれれば引き裂かれるほど、己が芸術に熱情を打ちこむ。ミケランジェロがそれの最も悲劇的な最も偉大な例だった」

そうです。ミケランジェロのことを言っているのに、ずうずうしい私は自分にすぐに置き換えるのです。

こんなに書くことに没頭している。引き裂かれている痛みを感じないように、引き裂かれていること自体を認めないように、己が芸術……とまでは言えないけど、書くことに埋没している土曜の夜。

ああ、軽井沢が恋しい。

写真はミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」。最後のピエタ、未完の。ミラノのスフォルッツァ城にある。

いますぐに観に行きたい。そうして、以前そうだったように、くずれおちるような慈愛を感じたい。

■■「魂の奥にある部屋に入って、ドアを閉めなさい」■■ 2013.2.1

51e3719f2dl私の2013年は、メイ・サートンの「82才の日記」からスタートした。

サートンの「独り居の日記」は、私にとってとても大切な本で、このブログでも何回も登場している。

大好きな作家が82才で書いた日記を読んでみたいと思ったのは、私にも長く生きることへの執着が出てきたということなのだろうか。としのせい?

このところ娘がしきりに私の体調のこと、長く元気に生きるためにすべきことを話すからだろうか。

ある夜、眠る前に彼女は言った。

長生きの秘訣知ってる?」

「知らない、そんな秘訣ないもん」

「あるよ。第一は、愛する人がいること。それから第二は…」

と第三まで話してくれたけど、これはよく聞く養生に関することだったので忘れちゃった。

愛する人はいるから大丈夫、と答えたことだけは覚えている。

サートンの82才の日記、夢中で読んだ。

いろいろな言葉がささってきて困るくらいだった。


忘れられないほど苦しいこととは、自分がしたくないのにしたことであって、他人になにかされたことではない

この言葉なんかも、いいなあ。でも一番ぐっときたのはこれ。啓示かと思った。

魂の奥にある部屋に入って、ドアを閉めなさい

ブログをずっと更新しないできたのは、さまざまな理由があった。

色々な出来事が次々と起こった。

それから自分はどのように自分自身の思想を伝えてゆきたいのか、どのように自分自身の姿をさらしてゆきたいのか、考えた。


そんなことを考えていたからブログにも消極的になってしまった。

でも。それでも。

このブログだけは、私の世界、私が書きたいことだけを書くって決めているのだから、大切にする。

■■海からの贈物、彼女の思考のスタイル■■2012.11.21

Wmiいま、とりかかっている本で、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』から一部、言葉を引用したらそのままはまってしまった。久しぶりの本、でも読むのは5度目くらい。


アンは、飛行士のリンドバーグのおくさんで5人の子どももいて、自分自身も飛行士で作家でもある。そんな彼女が自分自身をみつめなおすために、一週間、家族から離れて海辺でひとりきりで過ごした。


そしてさまざまなことについて考えをめぐらせて、一冊の本ができた。


それが時をこえて私を感動させる『海からの贈物』。

アンが49歳のときだった。

私はそのときのアンの年齢に近づいている。

だからかな、今回は年齢についての部分にひきよせられた。


アンは「40から50にかけての時代」を多くの人が誤解しているという。


みんなこの年齢にあらわれる徴候を悲劇的にとらえている、それは違うのに。

どんな徴候か? たとえば、不満、焦燥、疑惑、絶望、憧れ、などなど。


よく考えてみて。

これらは、若いとき、青春期の「成長の徴候」と似ていない?

いいえ、同じじゃない?

なのにどうしてみんなこの徴候が40をすぎてあらわれると「成長の徴候」ととらえないの?

「衰弱の徴候」なんてとらえるの?

 そして、精神的な沈滞、神経衰弱、酒、恋愛、度外れに激しい仕事、などに「逃げ道」を求めようとするの?

違う違う。

生きて行く上での或る新しい段階」がきたの。

そう、「それまでの活動的な生活に伴う苦労や、世俗的な野心や、物質上の邪魔の多くから解放されて、自分の今までの無視し続けた面を充実させる時が来たの」。

これは自分の精神、心、才能の成長ということを意味するの。




……ほんとうにそうだな。


ただ、同じ徴候があらわれても、青春期と違うところは、その出所というか、モトが、なんとなくわかっちゃうところかな。

それがつらい。


でも、アンのいう、「自分の今までの無視し続けた面を充実させる時が来たの」には、考えさせられる。


私が今まで無視し続けた面、ってなんだろう?

今夜はオードリーの本の出版記念のイベント。

一緒に本を作っている編集者さんたちと、いつも私のことを気にかけてくださっている方々と、しずかにたのしくエレガントに時間を過ごしたい。


一冊の本が生まれるということについて、昨夜は考えを泳がせた。

そしてあんまり卑屈になるのはやめようと思って、眠りについた。

■■オードリー重版のお知らせに、あれこれ■■2012.11.15

51bm49hlz1lフェイスブックを運営してくれている秘書みたいなモナミカ・ベティちゃんと、来週の出版記念イベントの打ち合わせをしていたら、編集者の岡田さんから電話があり「オードリー重版です」と嬉しいお知らせ。

そう、嬉しいお知らせ。

でもどちらかというと、安堵のほうが強いかも。ほっとした。

 

書いているときは書いているときで産みの苦しみがあり、出版したらしたで売れ行きとか批評とかに神経がすりへる。

そしてうっかりイベントなど企画すると、人間不信におちいる。

社交的じゃないのに社交的なふりをするのなんかやめる、なんて何度目かの決意をする。

 


そして思い出すのがメイ・サートンの『独り居の日記』。

 

本を「売ること」に関係することがどうしてこれほど気持ちを動揺させるのだろう?」

に続いて、私のような性質の作家にどうやって、そういったもろもろのことに対応しろというのか、みたいな愚痴が続く。

 

ほんとだよね、と一人でつぶやく。

 

また、新刊についての書評でこてんぱんに批判されたことについて、あれこれと言ったあとに、こんなふうにも言っている。

 

しかし私が、自分の作品はよりよい評価に値する、いつかは正しく判断されるだろうと信じなかったら気が狂うか、あるいは自殺するだろう」、だから、信じ続けるのだ、と。

■■まず自分を、の精神■■2012.11.2

51refrbj9dlエリザベス・キューブラー・ロスの「人生は廻る輪のように」を久しぶりに開いた。何年か前に読んだときとはまた別のところで胸うたれた。

***

いのちの唯一の目的は成長することにある


究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある。


毎日、理解と慈悲を必要とする人たちがふえている。

その人たちの声に耳をかたむけてほしい。

美しい音楽を聞くようにその声を聞いてほしい。


請けあってもいい。

人生最高の報酬は、助けを必要としている人たちにたいしてこころをひらくことから得られるのだ

最大の祝福はつねに助けることから生まれる。


の心理は、宗教、経済体制、人種の差をこえて、すべての人の日常経験に共通するものだとわたしは確信している。(略)


まず自分を癒さなければ世界を癒すことはできない

***


その心理はすべての人の日常経験に共通するもの……。なるほど。


私、忙しい忙しい、っていったい何が忙しいのだろう。

身近に私の助けを必要としている人が、いるかもしれないのに、その人たちの声に耳を傾けずに、いったい私は何を聴いているのだろう。

何に意識を注いでいるのだろう。

それはほんとうに今一番、必要なことなのだろうか。


と、ぐるぐる一人迷いをするのは、心身が健全ではないから。

疲れている、とも表現される状態だから。


まず自分を癒さなければ世界を癒すことはできない、とエリザベス・キューブラー・ロスは言った。


大賛成。


なのに、これを実行に移すことの難易度はとっても高い。

それでもたった数分間であっても、それを意識するのとしないのとでは、人生が違ってくるはず。

■新川和江とアダムとイヴ■2012.9.21

S安易に作られた感のある、とある名言集に目を通していたら、ボーヴォワールの言葉に出くわした。


要するにアダムなんて単なる試作品よ。

イヴを創ってはじめて神は人間というものを完成させたのよ


煮詰まっていたときだったから笑いたい願望があったのだろうか、ぶっと吹きだしてしまった。


ボーヴォワールって、やっぱり面白い。


私のアナイス・ニンをめちゃくちゃ嫌っていただけのことはある。


彼女は、アナイスの「女」というものについての考え方に、立腹していた。

アナイスは「私は人間である前に女よ」なんてことを言っていたから。


それにしても、同じアダムとイヴを出すにしても、すごい違いがあるな、と思う。



イヴのからだが 

 

アダムの肋ら骨でつくられたのなら

 

わたしはあなたの肋ら骨だ

 

わたしのすべては あなたのものだ

 

百千のおとこの中から

 

わたしが見つけた ふるさとあなた

(新川和江「婚姻」より)


これは『恋に溺れて女になる』の最後に、入れた。

私はやっぱりこっちのほうがいい。

瞬間的なものであっても、こんなことを感じられるのなら……アナイス風に言えば、「悪魔にだって魂を売るわ」ってとこかな。


創作と創作の間の、いくつもの企画が頭のなかで渦巻いているシーズン。

机の上が乱雑になる。

■■強烈に不在している■■2012.6.25

Pinaちゃんと聴いていなかったから、誰が言った言葉なのかわからない。

ラジオから流れ出る音に「ピナ・バウシュ」を聴いて、注意を傾けた。

ピナが亡くなって3年。


「あなたにとってピナはどんな存在ですか?」

みたいな質問に、その人は答えた。


強烈に不在しています」と。



その言葉を耳にしたとき、胸を強く突かれて動揺した。


愛とはその人の不在を強く感じること


と言ったのはサガンだけれど、私もまったく同じように感じている。


一緒にいるときに、「ああ、好きだなあ」って思える陽的な愛の実感もいいものだけど、その人がいないときに「なぜ、ここにいないの」と唇をかみしめたくなるほどに強く不在を実感するのも悪くない。


自分がその人のことをこんなに好きなんだ、と愕然とするくらいの驚きが、いい。


美しいものを観たときふれたときに、「なぜ、ここにいないの」はくる。


美は愛に近い。


だけど私は自分がこの世からなくなったら、誰にとっても「強烈に不在している」ひとではありたくない。

■■オードリーと利休■■

20120302「私は自分の魂に問いかけます。私に何ができるだろうか、と。

どこへ行き何をすべきか。

誰でも何かしらは、できるのです。

1000人を救うことが無理だとしても、たった一人でも救うことができるなら、私は喜んでそこへ行きます」


ユニセフ親善大使で活躍していたころのオードリ・ヘップバーンの言葉。

眠る前の読書タイム、「いま、読んでいるとこ、声に出して読んで」と娘に言われて、読み上げた。

そして意見を求めた。「どう思う?」


すると娘は声色をつくって言った。

無理はな、おのれの心が作るものやな

「なに、それ?」

「利休の言葉だよ」

「なんだか深い言葉だね」

「ほんとに言ったかどうかわからないよ、江の利休の言葉だから(江:ゴウと読む。上野樹里主演の大河ドラマ)」。


無理は自分の心が作ること。

いままでの自分の人生を振り返ってみれば、どのくらいの割合で、それが当てはまるだろう、なんてことを考えた。


8割くらいかな。あとの2割は自分の心とか力が及ばない世界のこと。

10割と答えられるほど私はあかるくない。


それに、「無理」ということにして、自分を休めるシーズンも人生には必要だと思う。


けれどあくまでもそれは休みでなければならない。

休みの後に、どんな自分自身があらわれるか、そして何をするのか、そこがとても大切なことなのだと思う。


なんてすっごい前向きっぽい人みたいなことを言ってみたい、またしても汚れた雨の朝。

より以前の記事一覧